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ある朝、NHKテレビを何気なく見ていると、横浜市の大倉山西□商店街がかなり時間を割いて大きく取り上げられていた。どうやら商店街の近代化のことらしいが、それなら同じ大倉山の東口もレモンロードとして生まれ変わったし、全国のあちこちで実施されているので別段大きく扱わなくても、と思ったが、よく見てみると、他の商店街では見られない、かなり斬新かつ独自な試みをしていることに気がついた。

イラストマップ:伊奈利夫
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自主的な近代化
横浜市北部のこれから中心地となる大倉山。その西口商業協同組合事務長の上野敏清氏になぜ斬新な街づくりを行うに至ったかを、工事の槌音響く中、お訊きした。
大倉山は駅前を通る道路が大変狭いうえにバスや車が頻繁に通り、さらに自転車、歩行者が道いっぱいに溢れるという東横沿線の中でも最も駅周辺の整備が遅れているところであった。
港北区役所の移転に機を一にして東口が建物の1階部分をセットバックし、道路と歩道を分離した街並がレモンロードとして出来あがったが、西口は昭和57年4月に近代化推進委員会が発足したところだった。
だが、東口が県などの指導により近代化を推し進めたのに対して、西口は自主的に街づくりを指向したところに周辺商店街の近代化と大きく違うところだと、上野氏は熟ぼっく語られた。
近代化、4つのポイント
商店街の近代化について、上野氏に、4つのポイントをあげていただいた。
一つとしてまず「人づくり」である。近隣商店街としての大倉山商店街は、当然地元住民の協力と理解なくしては近代化は為しえないのである。これにだいたい3年かかったという。
二つめに、「道づくり」である。これは具体的に言えば、6メートルの車道に幅2メートルの歩道を、両側に設けるというもの。現在の道路がほぼ6メートルなので、足りない分については、東口同様、1階部分のセットバックで対応している。なお、歩道には白本御影石が敷き詰められるが、これは全国でも例がないとのことだ。
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三つめに、最もユニークなところのいわゆる「街づくり」である。大倉山で特徴ある建物といえば、大倉山記念館。「白亜」という感じがぴったりの古代ギリシャ・プレ・ヘレニズム様式の優雅な雰囲気をもった建物であるが、これで商店街の建築様式を紘一してしまおうというのである。各店舗前面には円柱が備わり、白を基調とした外壁で一色となる。また、街灯はガス灯のイメージと、まさに街全体をデザインしているのである。
これには、鹿島建設鰍ェトータルコーディネイターとして、この事業に参加している。
最後の4番目として、最も気になるところの「金づくり」であるが、これも国による高度化資金の調達と、あわせて店舗自体の建て替え費用などは地元横浜銀行の協力による低利の資金などでまかなっている。
これからが大切
以上4つのポイントによって再開発は行われるが、上野氏は完成後の展開こそが大切であることを強調された。つまり、ソフト面の重視である。「お客様のニーズをどのように取り入れていくかが、近隣商店街としての大倉山西口の発展の鍵になるであろう」。
その一例として、今考えているのは、営業時間の延長である。西口商店街の背後には大きなマンションが建ち並んでおり、夜でも人通りが絶えない。そこで営業時間を延長し、また閉店後も通りを行き交うバスの中から店内が見えるように、格子状のシャッターを店舗に取り付け、照明もつけるという心憎い演出をするという。

昭和56年5月、工事前の大倉山西口商店街

円柱を生かした、プレ・ヘレニズム様式の昭和7年建築、大倉山記念館 |
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また、喫茶店が、高度化によって生まれたスペースで小ホールを作り、県の援助を通してミニコンサートなどを行っていくなど、地元密着のプランを今検討中とのことである。
9月中旬、西口商店街の20名余りの商店主たちが、ギリシャ観光局の仲介で、アテネ市のエルム商店街へ訪問したことは新聞などで大々的に報じられている。だが、これもまだ交流の第一歩であり、長期的ビジョンをもって考えていきたいと語る上野氏の視野の中に、私は地元住民としての姿を見る思いがした。
取材・文:西野裕久
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