画像をクリックすると、拡大されます。拡大後は左上の戻るボタンをクリックしてください

校正:石川佐智子/ 編集支援:阿部匡宏/ 編集:岩田忠利

  
 
昭和19年、区内国民学校(現小学校)児童が山梨県と福島県に集団疎開



下目黒小は疎開先近くの神社で早朝の宮城遥拝

資料:「目黒区教育百年のあゆみ」






 どの疎開先でも食糧不足は深刻。菅刈小はイナゴ捕り

 成長期の児童に不可欠なのは蛋白質。イナゴは貴重な蛋白源、児童は刈り取り前の稲田で生まれて初めてのイナゴ捕りです。

 資料:「目黒区教育百年のあゆみ」


 サツマイモ畑の草取りで農家の勤労奉仕は上目黒小

 どの子も勤労奉仕が楽しみでした。働いた後、農家でお米のご飯を腹いっぱいご馳走になれるからです。

 資料:「目黒区教育百年のあゆみ」















    順番が後になるほど“痛く、雑になる”散髪

 それも無理ないです。にわか床屋さんの教員や寮母の仕事。そのうえ10人以上の子どもの散髪はバリカンがだんだん切れなくなり、その握力が衰えて指が動かなくなります。それでも「ハイ、次の子!」と掛け声ばかりが大きく、散髪はなかなか進みません。

 資料:「目黒区教育百年のあゆみ」
     
     
昭和20年5月24日・25日両夜の空襲で被災した中目黒駅前


被災2日後、後方に丘陵地が見えるので中目黒駅北口の上目黒3丁目のようです。
 資料:目黒区発行「あの日この顔」



被災2日後の撮影です。
資料:目黒区発行「あの日この顔」






    昭和22年、戦後初の八幡神社の祭り、目黒銀座通り

 後方が山手通り方向。戦時中、強制疎開で取り壊した跡地の左手に店が並びだしました。
  提供:目黒銀座商店会


写真左の目黒銀座通り、現在

2013.5.21撮影:石川佐智子さん(日吉)

















昭和二十年代後半、鎗ヶ崎から中目黒方面を望む

                                 提供:目黒区役所広報課

 東横線利用者ならだれでも思い当たる車窓の風景です。写真左の道路が市電のレールがある駒沢通り。右の道路が旧道。東横線の電車がいま、代官山駅に向かってトンネルに入るところです。都電が恵比寿〜中目黒間に開通したのが昭和2年、その同年、東横線も渋谷〜神奈川駅間が開通しました。
 都電はこの坂をのぼって停留所「鎗ケ崎」・「長井戸」・「恵比寿」に止まりました。その昔、この広い駒沢通りは無く旧道だけ。あとは樹木茂る丘陵地でした。



    写真左と同じ場所、現在(2013.5.17)

 写真左の撮影時は鎗ヶ崎交差点に歩道橋があったようで高所からの撮影で遠望が利きました。現在は歩道橋が無く、平地で撮影したため駒沢通りの恵比寿方面に向かう大渋滞の車だけが目立ちます。
 正面のビルは中目黒駅前の東急ストア本社。
 撮影:岩田忠利











TOPに戻る

NO.22 へ

NO.21
昭和19年〜昭和20年代後半の中目黒