校正:石川佐智子/編集支援:阿部匡宏/編集:岩田忠利

画像をクリックすると、拡大されます。拡大後は左上の戻るボタンをクリックしてください

NO.19
昭和40年〜57年、祐天寺地区の情景


昭和40年、ガスタンクが見える景色

中目黒4丁目の長泉院上空から。
提供:渡辺泰裕さん(長泉院住職。中目黒4丁目)


昭和53年、ガスタンクが見える景色

中目黒3,4、5丁目の上空から。
提供:渡辺泰裕さん(長泉院住職。中目黒4丁目)

          祐天寺の二大事故


昭和43年5月23日、祐天寺第ー踏切で電車とバスの事故

提供:目黒区役所広報課


 
あおりを食って2人が犠牲

 当時はさかえ通りの先端に踏切がありました。そこへ空車の“はとバス”が駒沢通りへ抜けようと横切ったのです。でも、その先の道は急に狭くなる。そこでバスは、踏切上にお尻を出したまま躊躇している間に、桜木町行の電車が、激突 
 
 そのショックでバスは、踏切脇の米屋さんと不動産屋さんを粉砕して一回転……。
 店前にいた不動産屋のおばさんと通行人の高杉さんという主婦がそのあおりで亡くなりました。高杉さんは、明治維新の志士・高杉晋作の末裔の夫人でした。
 事故後のさかえ通りは、警察官・マスコミ取材班・野次馬で大混乱、どの店も終日商売どころではありませんでした。
 「あとで各店が、その営業補償費5000円をいただきましたけどね〜」と、スーパーヒーデルの下西園さんは事故の惨状とその後の経緯を話されました。


昭和49115日、目黒公会堂前の道路が陥没

提供:目黒区役所広報課
 直径16bの穴がポッカリ

 当時電電公社(現NTT)が地下30メートルに直径6メートルものトンネルを、もくもくと掘っていたとは、住民・通行人だれ一人知りませんでした。モグラのような仕業です。
 朝6時早起きした松田電機の松田栄社長は、地震かと思う大爆音を耳にしました。「あの1か月前の大阪のガス爆発がまた……」と直感、店を飛び出しました。と、目の前の道路上に直径1メートルもの穴がポッカリ……。
 
 「直進してくる車が危いッ。止めろ!」と松田さんは叫びました。見る見るうちにその穴口は広がっていく。ついに2時間ほどで16メートルもの直径に。奈落の底を連想させる無気味さでした。
 その穴埋め作業は徹夜で48時間。千葉から砂利を運ぶ大型ダンプが約200台、その長蛇の列は現場から山手通りまで延延とつながりました。

          祐天寺の“有名店、ナイアガラ”


 昭和56年鉄道グッズ満載カレー専門店

 椅子は正真正銘の新幹線の払い下げの椅子です。実物のナンバープレート、列車内で使っていたライト・時計・電話など鉄道内のあらゆるものが店内に飾られています。
 カレーも甘辛順に鈍行、急行、特急、超特急と分かれ、注文するとミニSLがカレーを乗せて「シュ、シュ、シュ……」音を立てながら客席まで運んできます。それがまた、鉄道ファンや子どもにたまらない魅力のようで遠くは関西からのお客さんも。
、そう、店は祐天寺東口の「ナイアガラ」です。

 撮影:「とうよこ沿線」編集室


  昭和56年、グッズや写真を9歳から集めた“駅長”、内藤敏夫さん

 戦時中、疎開先の富山で見たSLが忘れられず、9歳から“鉄道人生”をまっしぐら。とはいえ、内藤さんは一度もJRや私鉄職員として勤めたことはない。ただひたすら鉄道を愛し続ける“鉄キチ”または“鉄道バカ”に他ならない。
 店の近くに実物の蒸気機関車、C57の動輪を“安置”した場所があります。それを雨の日も風の日も欠かさず祈るような心境で磨く内藤さん。

 撮影:「とうよこ沿線」編集室







  中目黒ハイツから駒沢通り沿線の眺め、31年の変遷


昭和57年、中目黒交差点の中目黒ハイツ屋上から祐天寺方面眺望


 中央は駒沢通り。右手のビルは千代田生命本社ビル。左上に中目黒4丁目のガスタンクが見えます。
 資料:目黒区発行「あの日この顔」


写真上と同じ場所、中目黒ハイツ屋上から祐天寺・学芸大方面眺望、現在

2013.5.21撮影:石川佐智子さん(日吉)

TOPに戻る

NO.20 へ