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NO.19 へ

校正:石川佐智子/編集支援:阿部匡宏/編集:岩田忠利



     昭和24年4月、第20世巌谷勝雄住職就任の晋山式の行列

 祐天寺山門を出た行列は、都立目黒高校前の駒沢通りが見物人で埋めつくされています。
 
提供:明顕山 祐天寺(中目黒5丁目)

★お寺さんの「祐天寺」という寺院名は駅名と「祐天寺1丁目・2丁目」の町名になっています。当然祐天寺が1丁目1番地で、ここから地番地標示が始まるかと思っていたら、このお寺さんの所在地は中目黒5丁目なのですね。


昭和26年8月、駅西側の踏切から学芸大駅方面の風景

提供:石井隆次さん(祐天寺2丁目)


写真左と同じ場所からの昭和41年の風景

撮影:藤田幸一さん(練馬区南大泉)








   昭和35年7月、「上目黒5丁目交番」新設

 写真下の駒沢通りの踏切脇に住民の要望で完成しましたが、その後、上目黒5丁目が五本木1、2丁目に標示変更したため「五本木交番」と名称も変わりました。

 提供:高品吉伸さん(五本木2丁目)


  昭和39年、写真下の踏切脇にある、改築前の和高荘

 駒沢通りの踏切前にあったこの木造2階建て長屋の前に電車の通過待ちの車がいつも長蛇の列でした。
 提供:高品吉伸さん(五本木2丁目)



  昭和41年秋、車が渋滞する駒沢通りの東横線補助49号踏切

 左手の2階建てが写真右上の改築後の和高荘、その右に写真左上の五本木交番が見えます。
 撮影:藤田幸一さん(練馬区南大泉)



写真左の現在(2013.5.16)

撮影:石川佐智子さん(日吉)





  昭和35年、祐天寺連合商店会の中元大売出し

 東口駅前にたくさんの幟旗の前を賑やかなチンドン屋が行きます。当時西口には商店会有志が株主になっていた映画館「金星座」があり、その看板を東口駅前にも出していました。
 提供:ユニ紫凰堂(東口駅前)


     昭和36年、中目黒小学校運動会

 中央の建物が講堂、右手は木造2階建ての校舎。その前にコンクリート製の滑り台が見えます。
 提供:安西春栄さん(祐天寺1丁目)


昭和41年秋、西口から東口へ抜ける駅脇の踏切

左手の工事中の建物は、富士銀行です。
撮影:藤田幸一さん(練馬区南大泉)


写真左の同じ場所、現在(2013.5.16)

撮影:石川佐智子さん(日吉)





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NO.18
昭和24年〜41年、戦後の祐天寺地区