夏目漱石(夏目金之助)と名作『坊ちゃん』登場人物


 明治29年2月愛媛県尋常中学校卒業写真。3列目左から2人目、夏目漱石

                 提供:勝田正之さん(青葉区美しが丘。勝田久貫氏長男)

             『坊ちゃん』登場人物は……

 夏目漱石(本名金之助)は明治284月、29歳のとき愛媛県松山中学校教員として赴任、月給80円でした。
 翌年4月には同校を辞して熊本第五高等学校教授に就任、9月熊本で鏡子夫人と結婚、新居を構えます。
 この写其の裏には「明治29217日 愛嬢県尋常中学校第一級生卒業之際撮影」と記されています。尋常中学校とは旧制松山中学校の前身です。
 漱石は職員17名の一人としてこの記念写真を教え子39名と一緒に撮り、急いで熊本に赴いたのでしょう。
 松山時代、漱石が生徒と一緒に写真を撮ったのは、この時が最初で最後だといわれています。不巧の名作『坊っちゃん』はこの松山生活をモデルにして書かれているだけに、この写真は日本文学史を研究するうえでも貴重なものです。

 『坊っちゃん』の一節から−

 くゆうぺは寝られなかった。清が笹飴を笹ごと食う夢を見た。来年の夏は帰る。今日学校へ行ってみんなにあだなをつけてやった。校長は狸、教頭は赤シャツ、英語の教師はうらなり、数学は山嵐、画学はのだいこ。今にいろいろな事をかいてやる。さようなら〉一。 このモデルに相当する人たちは、写真では校長以下教職員17名が前列から2列目と3列目に並んでいます。さあ、当ててみてください。ちなみに校長は2列目の右から4人目・横地石太郎、教頭は3列目右から3番目の漱石そっくりの西川忠太郎。では、数学の山嵐はどの人でしょう?



写真左の台紙裏面に全員の氏名

 この写真は厚紙の台紙に貼られた横50センチほどの大きさです。3列目左から2人目に夏目漱石の本名「夏目金之助」と記されています。
 写真の持ち主は前列左端の勝田久貫氏。『坊ちゃん』にはクラスの“番長”で、漱石が寝ている夜半に蚊帳の中にバッタを入れて驚かせた人物です。

               個性豊かな3兄弟


大正13年、愛媛県松山の勝田家の兄弟。左端が蚊帳の中にバッタを入れた悪ガキ

 勝田家は愛媛県松山の名門でした。写真提供者の勝田久昭さんの祖父久敬氏(右から2人目)は長男で岐阜の裁判長を経たのち家督を継ぎながら地元で著名な弁護士に。
 次男の主計氏(中央)は上京し政界人り、昭和初期の寺内内閣と清浦内閣で大蔵大臣、田中義一内閣で文部大臣を務めました。同郷の正岡子規に俳句の師匠を紹介、俳人子規を生むきっかけをつくった人でもあります。
 その弟久貫氏(左端)は旧制松山中学時代、学校のリーダー格で漱石の名作『坊っちゃん』のモデルに。のち上京、職業軍人となり駒場練兵場の連隊長でした。長い間祐天寺に住み、103歳の長寿を全うし昭和57年、亡くなりました。

  提供:勝田久昭さん(上目黒5丁目)


        明治・大正期の祐天寺の名所


  明治39年4月3日、造園業の平山家経営の「翠紅園 平山」開園のとき

 駒沢通りのバス停「祐天寺」。門柱の位置が現駒沢通りのセンターラインあたり。
 写真左の人が主人・平山松五郎さん(写真提供者・平山隆也さんの(曽祖父)、右が妻・登久さん(同曽祖母)です。
  提供:平山隆也さん(中目黒3丁目)


大正138月、五本木2丁目の五本木通り

 右手の大木が茂るお屋敷は、目黒町初代助役の関根嘉蔵邸(嘉一さんの父)目黒区の人口は、この写真の関東大震災以後、急速に宅地化が進み、とくに昭和2年の東横線開通によって急増、山の手住宅地としての形を次第に整えてきました。
 なかでも五本木2丁目あたりには、東横線開通後まもなく都電青山車庫の運転手や車掌が多く移り住んだことから“チンチン(電車の)部落” といわれた地域でした。

 提供:関根嘉一さん(五本木2丁目)



写真左の現在の五本木通り
 
撮影:石川佐智子さん(日吉)













        大正末期、五本木2丁目に建てた目黒製氷会社の建前


 目黒町初代助役の関根嘉蔵さん(嘉一さんの父)らが目黒製氷会社を設立しました。現住所は五本木2−28−8 高田保蔵さん宅あたり。当時その付近では最大の会社でしたが、昭和12年、倒産。また関根一族は昭和5年、地域の発展を願い、同町内に昭和女子薬学専門学校″を誘致しましたが、残念ながらこの学校は昭和20年の空襲で焼けてしまいました。
  提供:関根嘉一さん(五本木2丁目)



      昭和10年、祐天寺境内

 後方が仁王門。当時の境内は木が多く、春は桜、初夏が藤の花を眺めに訪れる人が多かった。クスノキに大きなフクロウが棲み、夜になるとあの独特な鳴き声が聞こえたものでした。

 提供:平山隆也さん(中目黒3丁目)


昭和13年6月、鼓笛隊

五本木通りを行進する五本木小学校の鼓笛隊。

提供:天野きつさん(五本木2丁目)





        
          戦時中の祐天寺地区の人たち


  昭和16年早春、出征兵士(中央の紋付袴)を送る

 十日森稲荷神社に集まった愛国婦人会、在郷軍人会、隣組、親戚や家族の人たちに見送られ、青年がこれから戦地へ赴きます。
 提供:高品吉伸さん(五本木2丁目)




   昭和19年、五本木小で出征家族慰安運動会

 主人や息子が戦地へ出征した家庭を守る主婦の苦労とねぎらい、励ます運動会です。モンペのお母さん、がんばってぇ〜!
 資料:目黒区発行「あの日この顔」から

校正:石川佐智子/ 編集支援:阿部匡宏/ 編集・文:岩田忠利

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明治・大正・昭和の戦中、祐天寺地区

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