校正:石川佐智子/編集支援:阿部匡宏/編集:岩田忠利

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NO.3 昭和28年〜29年、復興期の自由が丘


                 昭和28年夏、よみがえった駅前広場

 左手の人だかりは占い師に群がる人。バスの左手、駅の改札口の位置が現在と違います。地平線に目を移すと、中央に玉川田園調布の浄水場のタンクが゙目の前に見えます。
 当時の駅出入り口は、この北口だけで南口の人は改札を出て大井町線の踏切を渡って南口へ行かなければなりませんでした。

 撮影:石井 力さん(川崎市宮前区鷺沼)



昭和29年、駅前風景

後方中央は自由が丘デパート、バスの後方が一誠堂です。
撮影:石井 力さん(川崎市宮前区鷺沼)



写真左と同じ場所の現在

2013.4.22撮影:岩田忠利










         昭和29年、バラック建ての「ひかり街」

 この年、ひかり街をビルに建て替えるためチンドン屋の“伝ちゃん”を繰り出して大売出しの宣伝です。手前が現在のひかり街の入り口。

 撮影:石井 力さん(川崎市宮前区鷺沼)


写真左の現在のひかり街
2013.4.22撮影:岩田忠利




              昭和29年、旧白山通り(現つばき通り)

 中央のガードは、東横線の電車が自由が丘駅から渋谷寄りに100メートルほどの所にあり、現在の「自由が丘駅」が設置されるまではここが「九品仏前駅」という駅でした。右手の2階建ての家は日本電気の社員寮。戦後の木造建物の特徴である板を横に組んだ“横ばめ”です。
 撮影:石井 力さん(川崎市宮前区鷺沼)


写真左のガード、九品仏前駅だった現在
2013.4.22撮影:岩田忠利











     昭和29年、「窓ぎわのトットちゃん」のトモエ学園跡地

 トモエ学園は昭和20年4月の空襲で焼失、今はありませんが、その跡地は、犬を連れた女の子の後方、フランスベーカリーの隣の住宅あたりがトモエ学園の校門でした。
 当時は左右に小さな門柱があり、左の門柱に「トモエ学園初等学校・幼稚園」と記され、正面奥の白い建物の屋根に「巴」の校章、その下にギリシャ人像の彫刻、白いひさしが突き出た講堂。トットちゃんの強烈な記憶として残る“夢を運ぶ電車の教室”は右に載せました。

 
 トモエ学園の跡地は、現在スーパー大丸ピーコックの店舗と駐車場になっています。

 撮影:石井 力さん(川崎市宮前区鷺沼)




 
  発行後32年間も売れ続ける本

 有名芸能人やスポーツ選手が書いた本といわれる本は「タレント本」といわれ、ほとんどが影の書き手、ゴーストライターの手によるもので、世に出てもすぐに飽きられ、売れるのは長くて1年だとか。
 黒柳徹子著『窓ぎわのトットちゃん』は、彼女の小学生時代の体験と自由な校風のトモエ学園について彼女自身の手で書かれた本です。それが、読者の心にビンビン伝わるのでしょう。
 講談社から昭和56年に発行され、当初講談社はあまり期待せず、8000部しか発行しなかったそうですが、1年も経たずにミリオンセラーになり、なんと32年後の今も売れ続け、新規読者を獲得しているそうです。



 トモエ学園の“夢を運ぶ電車の教室”

 この電車は東急の廃車を譲り受けたもの。この写真は同学園卒業者・藤原洋平さん(自由が丘・藤原写真場)の提供です。


同学園校門前で手を振る藤原洋平さん
提供:藤原洋平さん(自由が丘2丁目)


昭和29年、閑静な住宅街の陽だまりで立ち話

後方の学園通りを旧型のトラックが行く。自由が丘の街に平和の訪れを感じさせます。
 撮影:石井 力さん(川崎市宮前区鷺沼)


    昭和29年、下は大井町線ホーム、上が東横線ホーム

 当時の東横線ホームは現在よりも都立大学駅寄りにありました。ガードを渡る急行桜木町行きの電車は黄色と紺色のツートンカラー、車体側面には東急の英語略称「T.K.K」のロゴ。朝夕のラッシュ時の混み様はもの凄く、このロゴは「トテモ コミマス コロサレマス」と読むのだそうです。このコピー、いったいどなたの作?

 撮影:石井 力さん(川崎市宮前区鷺沼)


写真左の現在

2013.4.22撮影:岩田忠利










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