校正:石川佐智子/編集支援:阿部匡宏/編集・文:岩田忠利

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NO.13  度重なる鶴見川の氾濫に苦しむ綱島


  昭和13年、緩やかな流れの鶴見川と太公望

 
大綱橋の下流200メートルから上流を望む。右手が綱島温泉町。ふだんは、こうして太公望がのんびりと釣りを楽しむ光景があちこちで見られます
 提供:池谷光朗さん(綱島東1丁目)
 
 
 


 写真左と同じ方向を見た現在(平成25年1月)

 
同じ場所とは思えないほど変わった景観。堤防から堤防までの幅、川幅、水面から堤防上までの高低さ、いずれも計り知れないほど大きくなりました。
 撮影:岩田忠利


 
   


昭和13年6月30日鶴見川氾濫。左の本流から右の町内へ

 連日降り続いた豪雨で鶴見川は氾濫、堤防を乗り越えて綱島町内(右側)を激流が襲います。後方に手の施しようもなく、呆然と見守る人たちがいます。
 提供:松村写真館(綱島西1丁目)


   写真左の同じ場所、現在(平成25年1月)

 東横線の鉄橋から50メートルほど上流の場所、綱島西2丁目4番地 
 撮影:岩田忠利






  昭和13年、急造の“4斗樽の樽舟”で脱出

 昭和13年6月30日、鶴見川が氾濫……。上の写真の上流250メートルの川岸にある梅島館、そこの主人の妹、とよ子さんと番頭さんは、急造の樽舟で梅島館から逃げ出しました。
 提供:打越賢蔵さん(綱島西2丁目)


     昭和13年、現綱島街道の大水

 昭和13年6月30日、綱島温泉町駅(現綱島駅)東口の綱島街道沿いにあった綱島名物「子育まんじゅう」の島津饅頭店、池田製氷問屋など床上浸水。手前中央に小舟に乗る人が見えます。 

 提供:池田乳業(綱島東2丁目)




   


    昭和33年8月25日の早淵川、峯大橋付近が溢水

 後方が峯大橋。溢水あたりを水が引けた後、見回りに来た男性が左に見えます。
 提供:斉藤繁治さん(高田町)








   左の写真に隠された話

 左の写真は、沿線誌『とうよこ沿線』第25号の「アルバム拝借」に掲載した写真です。創刊号から連載の昔の写真を毎号探し出すのに苦労したものです。この写真の場合、写真はあっても「いつ、どんな場面の写真なのか」の情報が無く、この写真を手に私は1カ月近く歩き回りました。
 峯大橋のきわに住む富田金作さん宅を訪ねたときです。ご夫婦で興奮気味にこう言うのです。
 「
忘れもしませんよ、この写真の日、昭和33年8月25日は……。わしらは江東区の海抜ゼロメートルの深川に住んでいて、大雨のたび、水害に苦しんできました。で、深川の家を売り払ってその心配がないという新天地、ここ綱島西4丁目に、嵐の合間を縫って、この日にやってきたのです。
 ところがですよ。まだ引越し荷物も解かないうちにですよ。
 消防団員が出動し、「決壊するぞ、逃げろ、逃げろ!」と怒鳴って回ってきました。でも、わしらは全財産を賭け、ここに引っ越してきたんだから、ここで死んでも仕方が無いと思いましてね、子供たちを押入れの上段に押し込め、畳を上げ、家内は何やら一心に祈っていましたよ。
  ま、この写真の光景とこの日は、わしらにとっては生涯忘れられない思い出ですよ。

 『とうよこ沿線』第25号の発行後2年ほど経ったある日、一人の女性がボロボロになった25号を持って編集室を訪ねてきました。
 「25号の在庫があったら2冊ください。1冊は友だちに返却する分、1冊は家で永久保存する分にします。ここに載っているのが、元気な頃の父(※写真左の長靴を履いた男性)です。父は入院中、毎日この雑誌を枕元に置いて眺めていたのが最期でした。こんなボロボロなものを友だちに返せませんから……」
 このときばかりは、写真の威力を痛感したしだいです。


 昭和41年6月29日の大水

 後方に見える人家が綱島台。綱島、高田町、日吉本町の平地一帯は水浸しです。
  提供:鈴木輝明さん(綱島台)
  
 


  昭和41年6月、台風4号で出水した樽町
 

 後方に見える信号は綱島街道の樽町交差点です。
  提供:NTT綱島局
 









 
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