校正:石川佐智子/編集支援:阿部匡宏/編集・文:岩田忠利

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 綱島桃の創始者、
     池谷道太郎

 
神奈川県の桃栽培はすでに江戸時代から始まっていました。綱島では鶴見川の水害などで主力の米の収穫が思わしくなく、道太郎は乳牛を飼ってミルク販売を試みたりもしましたが、結局、桃に目をつけ、栽培を始めました。その7年後、流行した“タンソ病”でその桃が全滅……。
 そこで、現在の津田塾女子大の創始者・津田梅子の父・津田 仙氏の紹介で中国・天津やアメリカからいろいろな苗木を輸入して試作を繰り返しました。その中から綱島の土壌に適した「新世界」「日月桃」の2種類を作りだすことに成功しました。
 
とくに「日月桃」は収穫期がどこよりも早く、岡山の桃より味が良いという評判でした。東京・横浜に近い地の利から「綱島桃」の名は全国に広まり、綱島の農家を大いに潤したのでした。
 
提供:池谷光朗さん(綱島東) 
   


             大正11年、桃の出荷所

 桃の出荷を請け負っていたのは現樽町の横溝運送店、そこの荷馬車で運んでいました。出荷した木箱の側面には各家の屋号が記されいます。写真は運送店の店員たち。 
 提供:池谷光朗さん(綱島東)



   昭和10年春、池谷光朗家の屋敷と桃畑

 屋敷前に広がる2町歩(2ヘクタール)の桃畑です。 往年の映画スター・川崎弘子が映画ロケに来たこともありました。

 提供:池谷光朗さん(綱島東)








 
      


          昭和5年4月、桜と桃の花見

 写真は「大正堤」と呼ばれた鶴見川土手の現在のピーチゴルフの所。桜並木の両側は一面の桃畑の桃の花。桜と桃の花が同時に同時に咲きそろう花を楽しむ人々の列が続きます。
 
提供:「とうよこ沿線」編集室



       竣工の大綱橋と桃畑の花

 コンクリート製の大綱橋が木造の大綱橋の約50メートル上流に完成しました。橋の下の河川敷は、花が満開の桃畑。桃の花見の芸者衆が人力車で橋を渡るシーン。
 提供:飯田正巳さん(綱島台)
 


昭和13年、花見客と東横線






   昭和19年春、桃の花摘み作業

 1本の枝にたくさんの花が咲いていますが、これがみな実をつけたら、成長することができません。かたまって咲いている花の中から一つを残し、他は全部摘んでしまいます。どれを残すかの判断が良い実をつけるかの決め手になります。
 桃の葉や花に触れると、体がチクチクしてかゆくなります。写真の女性は手っ甲を着けて作業中。何十、何百本もの桃の木を一枝ごと、花を摘む期間は短く、猫の手も借りたい忙しさ……。

 提供:田口七郎さん(綱島台)

 
    

  
84年前の下のイラストマップをじっくりご覧! さまざまな“発見”が・・・


 昭和5年、東横電鉄(現東急)が配布した沿線マップの一部

 
路線の中央は「綱島温泉駅」。ピンクの個所が桃畑と桜並木、桃畑が鶴見川に沿って広がっています。駅名を現在の駅名と比較してご覧ください。今は廃駅になった駅、当時は無かったが現存する駅……。当時名所だった場所などもチェックしてください。まだ、日吉に慶應キャンパスは無かったことも分かります。
 提供:大倉精神文化研究所
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NO.11  桃と桜の花見客で賑わう綱島