校正:石川佐智子/ 編集支援:阿部匡宏 /文・編集:岩田忠利

向河原 / 平間 の地図
NO.17 NECの“城下町”、向河原

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            昭和11年、向河原駅周辺と日本電気玉川工場
                                         
                               提供: 日本電気(株)玉川工場総務課


 中央が向河原駅。駅に隣接して日本電気玉川工場の第1本館と第3工場が完成しています。右手の第1、第2工場は基礎工事中です。
 線路手前の農村地帯は現在の向河原商栄会。工場の後方を左右に走る線路は品鶴線(現在は新幹線と横須賀線)です。



       上の写真から50年後、昭和62年のNEC玉川工場     
                              提供: 日本電気(株)玉川工場総務課


 右上は東京都大田区内、その手前の川は多摩川。工場に沿って走る線路は新幹線と横須賀線です。綱島街道の市ノ坪交差点は、写真左下の角になります。



本工場前の38階建てビル
撮影:岩田忠利


大正末期、御幸消防団が火の見やぐら完成記念写真
                 提供:白井タネさん(下沼部)

 NEC(日本電気梶jが下沼部地内への進出に伴い、火の見やぐらと写真左手の三社宮は現南武沿線道路沿いの下沼部交差点付近の現在地に移築しまし
た。


 
 東京の飛び地、「下沼部」の子供

 多摩川の神奈川県側にあった下沼部は、明治45年3月まで東京府荏原郡調布村下沼部で、東京の飛び地でした。
 東京側からみれば、川向こうの下沼部であることから通称「向河原」と呼んでいました。
 この年4月、東京と神奈川の境界を“多摩川”と定め、下沼部は分村となりました。ところが、隣接の中原町は下沼部の子どもたちを尋常小学校への編入を認めませんでした。小学生たちは、また東京の調布尋常小学校へ多摩川を渡し舟で通学することに。
 これを見かねた神奈川県橘樹郡御幸村が下沼部の児童の編入を受け入れ、子どもたちは晴れて大正3年4月から御幸村立玉川尋常小学校へ通学できることになりました。




昭和28年5月創立50周年の人文字、玉川小学校

同名の校名が3校あり、本校は「ぎょくせん」と読みます。
 提供:藤嶋とみ子さん(中丸子)
              
                 神明大神の奇祭「おびしゃ」

 「おびしゃ」とは「御歩射」のことで、一般的には新丸子の日枝神社の神事のように的を射るのですが、中丸子のおびしゃは「男しめ」「女しめ」、一対の大きな注連縄を作る“しめより”の神事です。

 この行事の準備は祭り前日の1月7日、「おびしゃ保存会(昭和54年地元有志で結成)」の人たちが行います。160束ほどのワラで長さ9メートル、太さ30センチの男しめ、それより小ぶりの女しめ、2本の大蛇をかたどった注連縄を作ります。
それを神官が祝詞あげて清めると“しめ”をかついで境内を3周。と、突然それをドスン、ドスンと地面に3回落とすのです。これは地についた悪霊除け。
 
 それから、“しめ”をかついで町内を練って歩く。その行列は神官、幣束持ち、しめの鼻持ちの順で続き、町の指導的立場にある人の家々に立ち寄っては濁り酒をいただくのです。


     昭和40年当時の“おびしゃ”

            提供:野口正幸さん(中丸子)

 幣束持ちは幣束に人息を掛けないように、そろーり、そろーり、行列の先頭を歩きます。



 長さ9メートル、太さ30センチの男しめの鼻持ちを先頭に町内を練り歩く
                提供:野口正幸さん(中丸子)










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