校正:石川佐智子/ 編集支援:阿部匡宏/ 文・編集:岩田忠利

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元住吉の情景U 昭和30年(1955)〜51年(1976)


 昭和30年2月、東口商店街の線路沿いの通り

 東側の電柱脇にすがた旅館、向かい側に元住吉で最初のパチンコ店ヒットセンターの看板が見えます。
 提供:徳植利夫さん(木月住吉町)


写真左の現在、東口の線路沿いの通り

撮影:岩田忠利






  
 昭和31年秋、住吉神社裏の田んぼで脱穀

 ここは木月1丁目の古尾谷喜重さんの田んぼです。左の垣根は丸野実さん宅、隣は近藤染物店。今のこの辺りは建物が密集し当時の面影はありません。
 提供:徳植利夫さん(木月住吉町)


 昭和31年3月、東横線と建設中の病院

 建設中の関東労災病院の骨組みができたようです。その前を3両連結の東横線の電車が日吉駅に向かってっています。
 提供:石野英夫さん(井田中ノ町







   昭和34年4月、西口の線路沿いの道

 右手に新築の労災病院が見えます。終戦後から左手前にあった酒場が壊され、住吉神社本殿を右方向に移動し工事中です。
 提供:石野英夫さん(井田中ノ町


写真左の現在。住吉神社の本殿は木の間に

右手は東横線の高架です。
撮影:岩田忠利





昭和38年、東口から踏切と西口商店街を望む

手前の右角は徳植利夫さんの理容店です。
提供:徳植利夫さん(木月住吉町)



  写真左と同じ場所から西口商店街を望む

 上の高架橋は東横線・目黒線・日比谷線・三田線・東京メトロの各線が走り、さらに地上も単線が通ります。
 撮影:岩田忠利


昭和35年秋、時計台のある法政二高の校舎をバックに

 白亜の時計台のある法政二高の校舎は、どこからでも見える元住吉のランドマークでした。月影幼稚園の裏、木月祇園町の田んぼからはさえぎるものが無く、ひと際目立ちました。
 写真のモデルは、写真提供者・石野英夫さんのご家族です。

 提供:石野英夫さん(井田中ノ町


   昭和51年6月、井田地区最後の水田

 江川沿いの水田の田植えを明津橋付近から撮影。左の森は井田中ノ町・田辺幹夫さんの家。中央後方に井田病院の建物が見えます。
 「初夏の風物詩、田植えも今年で見納めか」と橋本さん、カメラを手に家を出たそうです。
 提供:橋本禎二さん(井田中ノ町)









  昭和48年5月井田山の神庭(かにわ)遺跡発掘

 井田山の神庭遺跡から約5000年前、縄文時代中期の住居跡、185軒が発掘されました。
 日吉駅から北西約1.5キロの矢上川を見下ろす台地上で県立中原養護学校を建てるための調査で発見されました。
 縄文時代中期(約4500年前)が41軒以上、弥生時代後期(約1700〜2000年前)が93軒以上、古墳時代のもの44軒以上、という合計185軒をこえる膨大な数の住居跡が発掘されました。
 提供:石野英夫さん(井田中ノ町)


   写真左の同じ場所、現在(2013.3.5)

 台地上にありますが、遺跡跡のここだけが周囲が崖の盆地状です。この地形を選んだのは暴風を避けるための先人の知恵なのでしょうか。今は周囲の崖に植えた桜の木が育ち、桜の名所です。川崎市心身障害者リハビリテーション福祉センターとなっています。

 撮影:岩田忠利







 
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