編集:岩田忠利 / 編集支援:阿部匡宏 
NO.857 2016.01.19  掲載


 この道一筋  沿線の生業-
 


 元住吉といえば、東京や横浜の人はすぐに「あっ、商店がどこまでも長く続くあの商店街ね」と言う。それほど元住吉の印象は商店街のイメージが強い。確かに店舗数も業種の数も沿線屈指だ。そんな商店街の中でも今では珍しくなってしまった下駄屋さんと氷屋さんを訪ねてみた。

 真夏の炎天下、車で綱島街道の二ヶ領用水を通ると、川沿いの道端に刈り取ったばかりの稲束をきれいに並べて干してある光景が目に留まった。「あれ、今ごろ、稲穂がついていない稲を干して何に使うのだろう?」。現場の隣の東横園芸に立ち寄り、鈴木社長に干し主をうかがった。


   下駄屋さん

  川崎市中原区木月 044-411-4343

徳植履物店 徳植亘昌さん(45歳)



よそ行きの下駄は“会津の桐”で有名な喜多方市産もの、ふだん履きは栃木市産のもの。鼻緒は浅草の問屋仕入れ。下駄といえば足袋、そのサイズも各種用意されているという

 靴全盛のご時世でも、やはりそこは日本の伝統的履物の下駄、根強いファンがいる。男性客は板前さんが多く、中には日本の伝統を肌で知りたいと外国人男性も見えるとか。

婦人用は女性が着物を着なくなって、浴衣のシーズンだけとなってしまったという。その反面、各地で同業者が少なくなった分、蒲田や田園都市線沿線など遠くから買いに見える常連客が増えているそうだ。
 下駄と鼻緒は別々の問屋から仕入れ、ご希望の鼻緒を据えてくれるが、最近草履は呉服屋で着物とセットで買うお客さんが多く、鼻緒の据え替えだけのお客も。

 「近ごろの若者は『下駄と草履はどうしてもカカトが出てしまうので履きにくい』と言うんですよ。粋な履き方を知らないんですね。親が下駄を履かない世代に育ってるんですから、仕方がないけど……」とは主人の徳植亘昌さん。

 徳植さんの父親は、元住吉の土地っ子で東横線開通当時に東急に入社し戦後、日吉・祐天寺・田園調布・五反田など5駅の駅長を務めた人。その駅長夫人、つまり徳植さんの母親が副業に昭和29年6月履物店を始めたのが創業でした。


昭和34年当時の徳植履物店


















     氷屋さん

 川崎市中原区木月 044-422-4579

氷の大矢商店 大矢礼市さん(78歳)



この道40年、78歳の高齢でひと塊り144キロの氷を氷ノコでギコギコ……

 

 次に訪ねたのは西口駅前の三菱銀行裏で40年もやっている氷屋さん″、大矢商店。冷蔵庫の普及で需要が激減したが、全盛期は病院・会社・一般家庭への配達で、住込み店員とバイト5人がいたのに「昼ご飯を立って食べるほど」忙しかった。やはり、透き通った氷は溶けても濁らず、味が違う。そして冷蔵庫の氷より硬くて溶けにくい。今は家庭では使わないが、お得意先は味が勝負の寿司屋・日本料理店・酒場などの飲食店。

 氷屋さんで使うノコギリは木を切るノコより歯が大きく荒い、特殊なもの。今一番困るのは3日に1度は廻ってきた「氷ノコ専門の目立て屋さんがいないこと」だそうだ。仕方なく、目立ても自分で……。


 伝統のしめ縄作りは1軒だけ


 川崎市中原区市ノ坪 川口正治さん(70歳)



自宅裏の作業所で江戸時代からの伝統、しめ縄作りに励む川口正治さん(70)

 綱島街道と府中県道沿い市ノ坪地区は花の栽培と農家の副業の″しめ縄作り≠ェ江戸時代から続いてきた所で有名だった。それが急速な都市化のなか、40年代には完全に水田と稲作が市ノ坪から消え、ワラ細工のしめ縄作りもその姿を消した。

 ところがどっこい、たった一軒、しめ縄作りの専業農家がまだあった。川口正治さん(70歳)の家がそれ。車で20分の都筑区東山田に代替地の田んぼを持ち、材料のワラは稲が穂を出す前に刈り取る実取らす″を使うのだ。「昭和30年代までは市ノ坪に17軒もあって、どの家でも約半年分の生活費を支えてきたのに」と川口さん。

             (文:岩田忠利)


               ★「しめ縄作り」は平成元年7月発行の本誌47号、前2件は平成5年8月発行第49号から

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