編集:岩田忠利/編集支援:阿部匡宏/ロゴ:配野美矢子
NO.612 2015.04..26 掲載
 激動の20世紀を残す写真集  第1巻
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『わが町の昔と今』第1巻「港北区編」
サイズ A4判
紙数 120ページ
発行日
平成12年(2000年)3月1日 初版発行

平成13年(2001年)11月20日 第2版発行
頒布方法  定価2500円
表紙
題字:三浦真澄(書家・港北区大曽根)

掲載写真:
 1. 日吉が生んだ神奈川県唯一の横綱・武蔵山
 2. 昭和13年鶴見川で桃と桜の花見
 3. 昭和43年新横浜駅ホームと田圃の農家の夫妻

装丁
デザイン:品田みほ(三ッ沢下町)
巻頭「はじめに」 日本学術会議会長 伏見康治(港北区太尾町)
目次と掲載画像点数
 
1.日吉編(写真67点・絵1点)
2.綱島編(写真63点/昔の町並み復元4頁)
3.高田町・新吉田町・新羽町・大熊町編
                     (写真66点)
4.大倉山編(写真68点/昔の町並み復元4頁)
5.菊名&妙蓮寺編(写真35点/
               昔の町並み復元5頁)
6.新横浜編(写真11点)
7.風俗編(写真33点・絵1点)

   「港北区編」の写真から・・・


昭和3年冬、田園都市梶i現東急)が坪5円で買収し「日吉台田園分譲地」として売り出した現日吉西口駅前                提供:小島英祐さん(箕輪町)

 放射線街区は右から順に現在のサンロード・浜銀通り・中央通り・普通部通りが写っています。
 手前は畑(現在は慶應大学校舎)。その左に一本の大きな木があり、その左横にホームのベンチに雨よけの小さな屋根が見えます。
 昭和8年まで日吉駅の出入り口は西口だけで電車は1両。運転手の奥さんが切符を売り、ホームに乗客がいなければ通過するという、のんびりした東横線でした。



平成5年、写真左と同方向を慶應大学図書館棟(写真左手前の畑だった場所)から

 
東横線は地下を走り、その上で駅ビル工事が進んでいます。
 手前の道路は綱島街道。左手のコンクリートの杭が出ている下が日吉駅舎。右手コンクリートの人工地盤が日吉東急百貨店の建設現場。左右その間が西口と東口を結ぶ、現在の吹き抜けの自由通路です

                  撮影:岩田忠利




               昭和5年、東横電鉄が配布した沿線マップの一部

 
路線の中央は「綱島温泉駅」。ピンクの個所が桃畑と桜並木、桃畑が鶴見川に沿って広がっています。駅名を現在の駅名と比較したり、沿線の施設の有無をチェックしたりしてご覧ください。


大正11年12月16日、「電燈点火」祝賀会場

綱島に初めて電燈がついたことを照明する貴重な写真で
提供:池谷光朗さん(綱島東





昭和初期、「綱島温泉町駅」と呼んでいた当時の駅周辺

 
この写真はNHKの「21世紀に残したい日本の風景」に選ばれた写真です。
現在の綱島公園付近からの町並み。後方の森は池谷光朗さんの屋敷。その左の建物は大衆浴場「綱島ラヂューム温泉

   提供:吉原育雄さん(綱島台)


       昭和8年、新羽南部園芸組合イチゴの出荷

 写真左の「西山運輸」と書いたトラックは北新羽の西山福次郎さんが土地5反歩(1500坪、4950平方b)を売って購入したもの。

 新羽・南部地区はイチゴ栽培に熱心で、早朝にイチゴを摘み、箱に詰め、天秤棒でかついで、傷みが早いイチゴを、現在の神奈川区の二ツ谷公設市場まで持って行き、出荷していました。このトラックのお蔭で写真のようにイチゴ共同出荷が実現しました。
     提供:小山三郎さん(新羽町)

 


大正15年タクシーがなかった当時の人力車

乗客は米山フミさん(米山写真館・米山富蔵夫人
 提供:米山裕司さん(新羽町









昭和56年9月、歩行者・自転車・車・バスが混然と通る大倉山・西口通り

撮影 :とうよこ沿線編集室


     写真左の同じ場所、エルム通り

 道路両側は2メートルずつ広がり歩道を新設、車歩道分離で安心して歩けるようになりました。
                     2013.2.12 撮影:岩田忠利










    大正15年2月14日、東横線開通、菊名駅で祝賀式

 一生に一度出合うかどうかの一大行事、東横線の開通を祝う写真はなかなか無いものです。もっとも当時はカメラが無かったせいもあるかもしれませんが……。
 菊名の長老を招き開通祝賀式。中央中段の背広姿が小泉実さんの父、佐太郎さん、その左上の青年団制服の人が斎藤農園主の斎藤栄太郎さん。
   提供: 小泉実さん(菊名)




       昭和5年、菊名・小泉実家の葬儀

中央の僧侶姿(左)はまだ若い頃の法隆寺の住職・磯貝宣海上人。その前に施主の小泉金作さん。近親の女性は白無垢、男性は黒紋付き姿。前面両側には近所の男性がワラジ履きでねじり鉢巻きに腹がけ姿。当時の厳粛な葬儀の風習を伝える貴重な写真です。
   提供:小泉 実さん( 菊名)



    (私のお気に入りの一枚)  昭和31年8月、本乗寺裏の高台からの眺め

 
手前にお墓参りの女性、田んぼの中に東横線の電車、左手に高木学園の白い新築校舎、左右に戦後建ちはじめた市営住宅。その後方に白く細長い建物は大綱小学校校舎。左手丘の上に大倉精神文化研究所(現大倉山記念館)。遠方右手の田んぼに現在は港北区役所が建っています。 この写真は、近景、中景、遠景を楽しく見させます
   提供:本田芳治さん(篠原北)




     昭和36年11月、大豆戸町の高台(現ヒルトップ菊名)から

 
稲の取入れが終わった田んぼが菊名から大倉山まで一面に広がり、丘の頂に大倉精神文化研究所(現大倉山記念館)が見えます。
 手前の集落の先、左に新横浜、右に東京を走る東海道新幹線の高架線工事が始まるという新聞記事を読み撮りましたが、まだその兆候すら見られません

     提供:本田芳治さん(篠原北)


    写真左と同じ方向の平成16年

 
写真左から3年後、昭和39年開通の新幹線が写真中央の菊名ハイツの裏を走っていますが、建物が大倉山までびっしり埋まって見えません
     撮影:宿崎貞夫さん(町田市成瀬)









     昭和29年、菊名池の西の池畔から望む菊名橋

 
菊名池のこの水は、篠原地区、菊名地区、さらに大倉山の観音前の田んぼの灌漑用水として使われる貴重な水でした。用水の水門は池の北の端にありました。橋の向こう側に火の見やぐらが見えます。
   提供:ルビー理容店(篠原東)


      写真左と同方向の平成25年

 
同じ方向の景色とは信じられない変わり様です。
 池は埋められ、菊名橋は広い水道道(すいどうみち)に変わりました。現在でも残っている菊名池は、後方左手の樹木が生えている所だけになりました。
   
撮影:岩田忠利








      昭和37年7月、駅舎の基礎工事中。その前を牛車がゆく 

 
農道を桶を積んだ牛車がゆく。後方では新横浜駅の基礎工事が着々と進んでいます。 牛を引くおじさんの頭の上に見える白い表示板をよく見ると「東海道新幹線 新横浜駅建設工事 西松建設」と書いてあります。後方の丘は、東口の篠原口。
    撮影:本田芳治さん(篠原北




    写真左と同じ方向を見た平成25年

まりの激変ぶり、何とコメントしていいやら……。       撮影:岩田忠利







    編集後記    岩田忠利(編集長) 

                 古写真との遭遇とその連載

『とうよこ沿線』創刊号発行準備の昭和553月、ちょうど20年前のことでした。
  「ウチに昔の写真があるんだけど、おめえさん、見るかぁ?」
  小杉御殿町の鳶職の頭(かしら)、今は亡き原平八さんがこう言いなら、奥から厚紙に貼った大きな写真3枚を持ち出してきたのです。

 写真の裏には枚とも「大正7年、多摩川」と書いてあり、新聞の半サイズもある写真は丸子の渡しから現在の丸子橋あたりを撮った風景写真。枚目は鮎漁の舟のそばに屋形船が浮かび、そこに鮎料理に舌鼓を打つお客10人ほどが写る、何とも風流な大人の川遊びの情景写真です。もう1枚は「昭和5年、砂利を運ぶ帆掛け舟」の写真。
 多摩川が子供の頃の遊び場だった原さんはその古い写真を見ながら、思い出を紐解くかのように昔の多摩川の話を次々と。水が澄み、川底で鮎が泳ぐ様が見えたとか、向こう岸の東京側でもウサギ、ウズラ、シギなどの狩りもできたといった話。

今は多摩川の上を数分おきに走る東横線の電車、車が数珠つなぎの丸子橋、薄汚れた川の水・…‥。
 同じ場所でありながらも写真に写る“昔と今”とでは、こうも違うものか‥…。そのギャップは私にとって、とても“魂消(タマゲ)たこと”であり、感銘深い新発見でした。

 昔の写真を誌面に載せることで、読者の皆様が地域の昔のことに興味を抱くようになり、地域の環境問題にも少しは関心を持つようになる。こうしてみんなが地域を知ることで、地域への思い遣りや優しさが醸成されるのでは……。そうなれば、現実のいろんな地域問題の防止や解決の糸口になるかも。
 そんなことを自分よがりに考えました。それからというもの、一軒一軒家々を訪ね歩き、ご家庭の大切なアルバムを拝見させていただいては写真をお借りし、その誌面タイトルを「アルバム拝借」とし、創刊号以来20年間、連載してまいりました。

 そして今、連載年目から読者の皆様から寄せられた「『アルバム拝借』の誌面を本にして、まとめて欲しい」とのご要望に、ようやく、港北区編を手始めに応えることができました。
 お忙しいなか、古い写真を探してお貸しくださった皆様、発行に際してのご協力の皆様、本当にありがとうござました。
 最後に本書読者の皆様にお願いです。読後のご感想や「ウチにはこんな昔の写真がある」「こんな情報も載せて欲しい」といった情報をお寄せいただければ幸いです。

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