編集:岩田忠利/編集支援:阿部匡宏/ロゴ:配野美矢子

NO.555 2015.04.07 掲載 

    第18号
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第18号「梨
号名 「梨」
サイズ B5判
紙数 76ページ
発行日 昭和58年(1983年)9月1日
頒布方法 定価200円
表紙 イラスト「元住吉西口商店街の情景」
撮影者 漫画家・井崎一夫(都立大学)
デスクキャップ 辻村 功(会社員 日吉)/田岡秀樹(会社員 日吉)
特集
1. 
イラストMAP特集
  日吉編・祐天寺編・元住吉編

2.  「元住吉」特集
  

      表紙のことば     漫画家・井崎一夫

 今回は「元住吉」です。

西口商店街で、若い奥さんにうしろから声をかけてみました。(ちょっと、シャンプーのCMみたいだったけど)

「あのゥ、元住吉のシンボルといったら、何でしょう」

「は??」

「いえネ、絵を描きにきたのですけれど、元住吉の顔、つまりどこを描けばいちばん元住吉らしいか、ご意見をおたずねしているのです」

奥さんはやっとナットクしたらしく、

「そうねえ、やはりこの商店街じゃないでしょうか。これほど店の多い商店街は、沿線にもないんじゃないですか……」

すると、キャベツをかかえた中年のオジンが割りこんできて、

「法政大学のタワーですよ。巨人の柴田選手を生み、甲子園をわかせる法政二高の地元だもんね。江川選手も、あの大学グラウンドで育ったんです。元住吉のシンボルにちがいないんだが、残念ながらここからは見えない。ひと昔前までは、どこからでもタワーが見えたものだけれど、こう家が建てこんじゃねえ……」

  駅前から元住吉西公園まで600メートルの直線コースを歩いてみます。この地区に約240店が並んでいるのです。買物カゴの奥さま方の大行進、その中を縫うように走る自転車、乳母車が目立つのは、この街に新家庭が多いせいでしょう。この街には、有名大企業の寮・マンション・アパート群がひしめいていて、商店街は毎日が「祭り」のような賑わいなのです。

祭りといえば、毎年秋に行なわれる「十月祭」の盛大さは、沿線名物のひとつに数えられます。
  仕掛人のひとり、商店街振興組合、佐藤孝一青年部長に聞いてみました。

 

10月9日、今年で6回目の「十月祭」を迎えます。昨年は、この直線コースを『銀河鉄道』に見立てて、手づくりの蒸気機関車にお子さまたちを乗せて好評でした。今年は、賞金10万円をかけた『大綱引きトーナメント』、ヤマトタケルノミコトの妃、オトタチバナヒメを祭神にして、足で歩く『竜ミコシ』を繰り出します。主催者だけが熱演する祭りではなく、沿線住民参加の盛大な祭りに発展させたいと、心がけています」。

商店街の中央、信用金庫付近でスケッチをはじめました。人が多いのもさることながら、やたら電柱が多いのには閉口です。ところどころ地下を掘り起こしたアトがあるのは、夜間下水道工事が進行中だということです。下水道が完備すれば、この商店街もスッキリした近代的ビル商店街に生まれかわるのも、ごく近い将来のことでしょう。

「元住吉」が、「今、住みよし」街になるよう祈りながら、スケッチをおえました。

 号名「梨」とは…   

秋の果物といえば、何といっても梨です。あの独特の舌ざわりと甘ずっぱい味は最高です。梨はバラ科の落葉喬木で、ふつう柵仕立てで栽培されます。春に卵形の葉と白い花をつけ、夏から秋に収穫されます。

本号で特集した元住吉は川崎市のほぼ中央に位置しますが、多摩川南岸の一帯は昔から梨の産地でした。
 有名な“長十郎”は明治の中頃、大師河原村の当麻辰次郎が、改良して生まれた品種です。(“長十郎”は屋号)
  現在では、多摩区が主産地で、観光梨もぎ園がさかんです。秋晴れの一日、梨もぎに出かけてみてはいかがですか。
       (日吉・辻村 功)



横浜の特産「浜なし」の花 港北区高田町金子農園

撮影:配野美矢子さん(日吉)





左:辻村功 右:田岡秀樹

 デスクキャップ早慶対談

 第18号“梨”デスクキャップ

イラストマップ担当 田岡秀樹(日吉・会社員)
一般記事・総括担当 辻村 功(日吉・会社員)


  ――半年でデスクキャップに

辻村

田岡さんが入会したのはいつですか?

田岡

今年の2月初めです。

辻村

僕は1月中頃だから、ほぼ同じ時期ですね。
入会の動機は?

田岡





慶応工学部の学生時代から日吉に住んで8年になりますが、近所のことを知らないんです。
僕は徳島の出身ですが、田舎なら8年も住めば、近所の人とは顔見知りになるはずなのに……。そこで近所づきあいでもしようかと思っていたところに、この雑誌と出合ったわけです。
辻村さんは?
辻村






僕は生まれた時から日吉ですが、幼いころから電車通学し、大学も慶応を目の前にしながら早稲田の理工まで通っていた(笑い)ので、
 日吉というよりは東横線の沿線が故郷なんです。『とうよこ沿線』は途中から買い始めたので、バックナンバーを揃えてみたくなり、編集室を訪ねたのがきっかけです。
田岡
それにしても、入会半年でデスクキャップをやるとは夢にも思いませんでしたね
辻村

そうですね。僕の入会申込書を見ると、「月2〜3回編集協力したい」とか書いてあるんですよ。それが……(笑い)。

――『とうよこ沿線』の魅力

田岡


でもこれだけ深入りしたということは、「東横沿線を語る会」にそれだけの魅力があったわけでしょうね。
辻村




まず、今までと違った世界が開けたことでしょう。二人ともメーカーのエンジニアですが、職場は限られた狭い世界です。その点、ここへ来ると、さまざまな年齢・職業・考え方をもった人とつきあうことができます。
田岡



同感です。僕の初仕事は巨人軍多摩川グラウンドの取材でしたが、王さんに会ってインタビューしたときは感動しましたよ。
会社の仕事をしているだけでは、絶対に経験できないことですから……。
辻村



それと、このようなグル−プはとかく閉鎖的になりがちだけど、そういうところが全くなかった。新人でもすぐに活躍の場を見出せるということは、大きな魅力すね。
田岡

そうして組織が固まってしまうことなく、絶えず流れがあることが雑誌づくりをアクティブにしている源なんでしょう。

――雑誌づくりの苦楽

辻村

今回、デスクキャップとしてイラストマップを担当してみて、ご感想は?
田岡








いやあ、足で稼いだという実感ですね。
各商店街をスタッフが手わけして歩き、取材し、広告を集めるのはたいへんでした。特に広告募集は相手のあることですから、我々素人営業マンは苦労しました。
でも、こちらの話を熱心に聞いてくださり、広告OKとなったときの気分は最高でしたね。いずれにしても大いに社会勉強になりましたよ。
辻村












僕の場合は総括ということで、出歩くことは少なかった反面、スタッフをまとめることには神経を使いました。みんな自由参加で雑誌づくりをしているわけで、突然みんなにソッポ向かれたらどうしようかと、いつも不安でした。
編集長は「何事もゼロからの出発。仲間を増やそう、『とうよこ沿線』!」なんて(笑い)調子がいいけれど、デスクキャップという立場になると、考え方が現実的にならざるを得ません。
実際はみんなが積極的に参加してくれて、そんな心配は全くいらなかったけれど……。

   ――生きた証が後世に

田岡



この“梨”号をきっかけにして、新しい仲間が増えるといいですね。編集に直接参加しなくても、グリーンメンバー制度があるし……。
辻村


“梨”号に対する意見や感想だけでも聴かせてほしいですね。雑誌作りが会員だけの自己満足に終わらないためにも……。
田岡



それには巻末ハガキを利用してもらいましょう。この緑のハガキー枚一枚(ハガキを手に取って)が、『とうよこ沿線』を大きく育てる栄養になると思います。
辻村

それにしても、みんなで力を合わせた成果が活字として残るのはうれしい。
田岡


沿線の図書館では永久保存してもらっているし、我々の生きた証が後世に伝わるわけですから……。
辻村

田岡さん、これからも.“若き血”に燃えてがんばってください。
田岡

辻村さんこそ、“進取の精神”を貫いてください。(2人ガッチリ握手)

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