編集:岩田忠利 / 編集支援:阿部匡宏

                    NO.65 2014.6.14 掲載 
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樹木
百日草の詩(6)
 
大正時代(1921年〜1925年)


                               文:岩田忠利(「とうよこ沿線」)

 悠久の時の流れのなか、私たちは“ある時代”に生を受け、地球上の“ある場所”で生活します。
 

 日本という国の「大正時代」という時の流れのなか、国内外の政治・経済や自然現象などの影響を受けながら、さまざまな人間模様が展開されてきました。
 
 こうした時代的背景のもと、東京・川崎・横浜の“沿線の子供たち”が、いかに暮してきたか、当時の写真で観てみましょう。

 
                                    ★以下情報の参考文献:『朝日年鑑別冊 1980』など

国内外の情勢 大正3年第一次世界大戦始まる。日本も参戦  ◆大正7年第一次世界大戦終結
大正8年スペイン風邪の猛威にて東京で2週間に1300人の死亡記事
大正5年吉野作蔵が民主主義(デモクラシー)を主張する 
大正9年国際連盟が発足する(英・仏・伊・日が常任理事国)
大正12関東大震災(朝鮮人や中国人の虐殺が行われる 
大正14普通選挙法の公布(25歳以上のすべての男子に選挙権が与えられたが、女性参政権は与えられず)
大正14治安維持法の交付(のちに思想や言論の取り締まりにまでつかわれる)
大正14NHKラジオ放送開始
大正15年(昭和元年)大正天皇が亡くなり昭和天皇が即位
        地域の情報 ◆大正12年(1922311東急目蒲線(目黒〜蒲田)全線開通
大正15東京横浜電鉄(のちの東急東横線)神奈川線(丸子多摩川〜神奈川)開通
        流行語 「文化住宅」「おらが大将」「モボ」「モガ」「ハンドバッグ」「サボる」「閻魔帳」「ジリ貧」「ガチャガチャ」「バンカラ」「たちんぼ」「兵隊勘定」「成金」など
         子供の遊び 竹馬あそび/ままごと/かくれんぼ/折鶴/あやとり/きしゃごはじき/挟み将棋/しない打ち/かざぐるま

               写真で観る 大正時代、沿線の子供たち



      毎年お正月に来た三河万歳

 ♪え〜え〜 ひとつとせ〜 ポン ポン
 鼓の音で始まる三河万歳は、愛知県の農民がコンビで農閑期の副収入に旅芸人となり、毎年歩いて回ってきました。綱島にも恒例行事のように昭和11年まで来ていました。
 村の大人や子どもにとってこのリズミカルな歌と舞いを観るのは楽しみの一つ。子どもたちは二人の後を突いて回ったものです

  提供:池谷光朗さん(港北区綱島東)


   大正時代のお正月の楽しみ、カルタ取り

 
綱島台の長福寺住職宅。中央が長福寺の先々代住職の佐々木証信さんで、小学校の先生を兼務していました。お正月には正装した教え子の女の子が恩師への新年の挨拶に来て、カルタ取りをするのが楽しみだったようです
 提供:池谷光朗さん(港北区綱島東)






  鶴見川で小学生の夏季学校、準備体操

 川に入る前に準備体操。左側の男の子は上半身はだか、右側の女の子はゆかた姿
  提供:池谷光朗さん(港北区綱島東)








   小学生の夏季学校、水泳教室

 撮影は旧大綱橋の上から下流の鶴見・駒岡方面に向かって。当時の川幅は子どもが飛び込んで一息で対岸に着けたほどでした。水は澄んだ清流で、飲料水として使っていました
 提供:池谷光朗さん(港北区綱島東)



    人気があった新子安海水浴場

 明治末期の埋め立てで生まれた新子安海水浴場は遠浅で干潮時には沖まで潮が引き、満潮時には大人の背が立たなくなるほどでした。
  東京からのお客も多く、大正時代から昭和初期まで大いに賑わいました

  提供:池谷光朗さん(港北区綱島東)



大正10年、畑で野菜の手入れ。八雲小高等科1年児童

 
左の竹垣は氷川神社、右の雑木林が現在の同校正門前の道の端、八雲1丁目13番あたりです。鍬を持つ子どもの後ろの道が、学校の裏を通る氷川神社境内の脇道と思われます
  提供:八雲小学校(目黒区八雲2丁目)





  この写真撮影30分後、関東大震災が……
                           
 この日は土曜日。朝からの強い風と俄か雨が10時を過ぎると止み、さわやかな秋空を思わせる天気になりました。一年一度のお祭りには絶好の日和。朝湯を浴びて晴れ着姿に着替え、大人も子どもも山車の前に勢揃い。祭り気分が最高潮に達したところで、記念写真。
 その30分後のことでした。午前115844秒、雷のような地鳴り、と同時に大地は激しく上下左右に揺れる。土
煙りがあがり、家は倒れ、傾いた。まさかこの地震が「関東大震災」になろうとは、だれが予知したでしょうか 

 提供:鈴鹿政雄さん(神奈川区大口通)




大正12年、田沢逢太さんの一家が震災見舞い

 
厚いボール紙の台紙に「大正12年9月 武州・川和フォトスタジオ」と年月が記され、写真館のネームが貼ってあります。
 子供たちを荷車に乗せ、家族揃って震災に遭った横浜の親戚に現あざみ野2丁目から川和を通って見舞いに行く途中です
 提供:飯島武靖さん(青葉区あざみ野)









派手な服装で街を回った野澤屋の少年店員、メッセンジャーボーイ

 震災後の野澤屋は、外国人デザイナーを招いて洋服のオーダーメイド、オリジナルの化粧品とランドセルなど先端的なモダンな商品・サービスで躍進しました
  提供:伊勢佐木町1.2丁目商店街






大正14年、NHKのラジオ番組に楽器演奏で出演した都田尋常小学校第2分教場(現折本小学校)の3〜4年生
 
  提供:雲井耀−さん(都筑区折本町)















大正13年、住吉村立尋常小学校高等科卒業生

 左最上段の担任の先生は田丸両太郎先生。当時の村立小学校は現在の綱島街道端の大塚商会裏にありましたが、大正12年の関東大震災で校舎が半倒壊し現在地の西口に移転しました。  提供:田辺幹夫さん(井田中ノ町)


       大正14年、、護国幼年団

 浦島尋常高等小学校の児童が近所のおじさんの指導で現代版ボーイスカウト、護国幼年団を結成しました。撮影は旧神明町の氏神様の前。
 提供:山室まささん(港北区新羽町)



大正13年10月、城郷高等尋常小学校の運動会

 写真に写る男性がたの服装がスーツにソフト帽運動会が地域の一大行事であったようです。
 提供:堤 雅行さん(港北区小机町)




大正14年、綱島小学校学芸会「桃太郎」の場面

学芸会で先生方がいちばん悩むのは、児童の配役。適役の子でも親ごさんの衣装負担が気になるからだそうです。
提供:池谷光朗さん(港北区綱島東)


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