編集:岩田忠利 / 編集支援:阿部匡宏
                          NO.64 2014.6.12 掲載                           
樹木
   献上米 生産農家4軒
                           文・編集:岩田 忠利(「とうよこ沿線」)


 若い人たちは「新嘗祭(にいなめさい)」ってご存じかな? 
 新嘗祭は、毎年11月23日(勤労感謝の日)に皇居で行われる、新穀物の米と粟を供えて感謝する行事です。

 その起源は古く、天照大神が行ったことが古事記に書かれていて、宮中恒例祭典の中で最も重要な行事とされています。この行事の前に「新嘗祭献穀献納式」が行われ、新嘗祭に使われるその年収穫した米と粟を、各都道府県から選ばれた生産者が天皇陛下に献納します。
 
 新嘗祭に献納された米と粟は天皇陛下がお召し上がりになる祭事とあって、その生産者の選定は各県が厳選した農家です。生産者は皇居に参上し新嘗祭献穀献納式に列席、そして献納後、お出ましの天皇陛下が農家の皆さんの努力に労いと感謝のお言葉をいただきます。まさに一生一代の晴れ舞台、選ばれた農家の当主のみが体験できる、名誉ある一大イベントなのです。

 古写真を探し歩いて二十数年、私はたまたま献上米生産者、4軒の農家に出合いました。それが、都内や川崎市内では1軒も出合えませんでしたが、いずれも横浜市の旧港北区内の農家でした。

                                                  

  献上米になるまでの一連の行事

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  生産者と神官が田植え
 


抜穂(稲刈り)式



たわわに実った稲穂



関係者みんなで稲刈り


農家の当主と県知事または市長が祭壇に供える稲穂を神官に渡


収穫式が始まる



精米された究極の米1升は桐の箱に入れられ、絹の縮緬織りの高貴な色と言われる紫色の風呂敷で包みます





宮内庁から生産者に額入りの書状が新嘗祭献穀献納式で授与される




  画像の上でクリックし拡大してご覧ください。

 1.大正3年、岸根の市川良亮家(現市川渉さん宅)



 大正3年(1914)秋、献上米の抜穂式。現岸根交差点付近で

 現港北区岸根の屋号「寺の前」と呼ばれる市川良亮さん(市川渉さんの曽祖父)宅の稲田が選ばれ、稲刈りをする前の式典「抜穂式」の光景です。
 田んぼのなかに祭壇、その前に神官、後方に白装束の男の子5〜6人と大人が整列。この儀式を見守る役人や村の人たちが写っています。後方の森は曹洞宗・貴雲寺。
 献上米の指定は国、県、橘樹郡が篤農家の中から厳選するもので、大変名誉なことです。
写真の現在地は横浜上麻生道路沿いの岸根交差点近く。

 提供:金子寿二さん(港北区鳥山町)


2. 昭和5年、港北区新吉田町の加藤昌之助家
(現加藤清明さん宅)



     昭和5年(1930)6月、献上米の田植え

 
写真は、白装束姿で田植えをする2人を県や村の役人、村長や神官が見守る情景。
 神奈川県は毎年篤農家2軒を選び、米と粟を献上する制度があり、この年は都筑郡新田村の加藤昌之助家(加藤清明さん祖父)の収穫米が選ばれました。この栄誉は都筑郡として新田村としても初めての快挙でした。
現在地は綱島〜新横浜間のバス通りに面し、若雷神社下の付近
 
提供:孫・加藤清明さん港北区新吉田町)



昭和5年11月、献上米を手に新田村役場で

 献上米は、天皇陛下が新嘗祭に召し上がるお米で、約1升の玄米です。加藤さんの家では一粒一粒、念には念を入れて吟味し、選んだそうです。長男・昌之さん(私がその話を聞いた時は89歳)からうかがいました。
 
写真は献上米を手に加藤昌之助さん、後列右から3人目が長男・昌之さん
 提供:孫・加藤清明さん(港北区新吉田町)





3. 激動の昭和20年献上米作りに励んだ緑区十日市場町の石井源三郎家



  昭和20年6月25日、天皇献上米の“清祓式

 田植えの前の代掻きの儀式は「清祓式」と言い、県知事はじめ横浜市や都筑郡の役人ら関係者80名が列席し谷本保宮司のもと、清祓式が行なわれました。献上米の水田の周りに柵をめぐらし、小学校の児童たちも見学しています。

 昭和20年は、連夜のB29による空襲、そして日本が無条件降伏の敗戦という昭和史上激動の一年でした。そんな中、石井源三郎ん宅は神奈川県知事に推挙され、新嘗祭用の稲を耕作することに。
 それは51日の苗代づくりから
蒔き、田植え、除草、施肥、稲刈り、脱穀、精米でどの作業にも息の抜けない半年でした。
   提供:石井憲保さん(十日市場町


昭和20年10月2日、稲刈りの5日前、“抜穂式”

 県知事をはじめ関係者100名が集まり、谷本保宮司のもとで“抜穂式”
 新嘗祭は旧祝祭日で現在の“勤労感謝の日”に当たる1123日。この日は天皇陛下がその年に
収穫した米と粟を食する祭事が行われ、全国の家庭国旗を揚げてこれを祝います。
 
提供:石井憲保さん(十日市場町









4. 昭和29年、青葉区荏田町の徳江安五郎家



  昭和29年(1954)、徳江安五郎家の献上前の田植え

 水田に大きな柱が建ち、その脇にテントが張られ、その中で県・市の役人や神官、隣近所の人たちが見守る中での田植えです。
  提供:横倉幸三さん(青葉区荏子田)



お盆の上で一粒ずつ選別する献上米

                             
                話す人:横倉信次郎さん

  かつて篤農家で知られた徳江栄助・安五郎さんの家は当地の特産“小黒人参”で農林大臣賞などを受賞したことでも有名。
 当家の次男で94歳の今(平成14年時)でもゲートボールを日課とするほどお元気な横倉信次郎さんが、実家の徳江家で献上米の田植えから稲刈り、脱穀、精米、そして献上品に仕上げるまでの体験を話されました。

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 「天皇陛下が葉山の御用邸にいらっしゃるたびに、うちのニンジンやタケノコなどを献上したものだよ。それはそれは、栽培にしても作物の選別にしても神経を使うものだよ。ハンパじゃねぇよ。
 
 献上米のときは眼のいい女子青年をうちに呼んで、精米した米を黒いお盆の上で一粒ずつ、粒揃いの米を選んでもらったんだ。それを1升桝にいっぱいにするには何万個だか何十万個だか、わしには分からねぇ。
 
 当時、天皇陛下といえば神様・・・。その神様が召し上がるものだから、あのお姉さんも、たいへん気苦労したはずだよ」。



  徳江安五郎さんの家族

後列右から2番目が当主の安五郎さん、前列左端は安五郎さんの弟・横倉信次郎さん
  提供:横倉幸三さん(青葉区荏子田)






















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