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写真集「わがまちの昔と今」

第4巻 都筑区&城郷編

昭和39年10月8日の茅ヶ崎町。左手の茅葺きの家は北村正晴家。その左の森は杉山神社。中央、道路端の電柱の先は早淵川の境田橋、右手の山は吾妻山
                                       (提供 北村博さん)
平成13年9月、上の写真と同方向を見て撮影。上の写真の道路は拡幅され都筑区の中心街を走る中山・北山田線。右後方がセンター北駅、北村正晴家は左端の家の裏に現存

昭和56年、茅ヶ崎町の屋号「うどん屋」と呼ぶ飯塚家前から開発前の三角山を望む
                (提供 吉野勇さん)

平成7年、上の写真とほぼ同じ方向を望む開発後、センター南駅と中山・北山田線
昭和30年の谷戸池。池の上、丘の中腹の道は中原街道
                (提供 関岳夫さん)
上の写真の現在。谷戸池はニュータウン造成で埋められ、現在の交差点「茅ヶ崎中学入口」付近一帯となっている。
昭和10年当時、都筑郡の郡役所があり行政の中心地であった川和通り
               (提供 高橋信雄さん)
上の写真と同じ場所から見た現在の町並み。昔の通りは横浜・上麻生線

昭和30年代、小机城址・城山隧道上から横浜線。
後方は鴨居方面。右上の橋は鶴見川に架かる川向橋
              (撮影 故佐相政雄さん)
隧道の右上から見た現在の風景
               (提供 金森長保さん)
昭和初期、東山田の中原街道の端、のちめ不動尊の隣にあった劇場「山田館」。
山田館は中川村唯一の文化・娯楽施設で収容人員約200人、舞台の両側に二階建ての桟敷席があり、その下に店もあった。浪曲、漫才、手品の芸人や芝居の旅芸人一座が来たり、映画の上映なども興行した。東京や横浜まで出かけなくても伝統芸能が楽しめるとお年寄りや若者に好評であった。
                (提供 前田理容室)
昭和8年、東山田・のちめ通りにあった飯田運送店。
山坂の多い中川村の農民が早朝から荷車を引いて東京の市場まで野菜を出荷する苦労は並大抵ではなかった。そこで飯田正作さんは農家の寄金もあってトラックを購入して運送店を開業したのは大正10年のことだった。
                (提供 前田理容室)

昭和15年、国旗掲揚のときラッパを吹く中川尋常小学校の「週当番」
                     (提供 関岳夫さん)
昭和11年7月、勝田〜新丸子駅間を昭和7年から走っていた乗合バスの運転手と車掌
                    (提供 前田理容室)

昭和27年、城郷保育園(現城郷幼稚園)の園児を乗せた送迎馬車。
現在の園児送迎バスのはしり
        (提供 安藤尊仁さん)

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