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写真集「わがまちの昔と今」

第8巻 港北区 続編

昭和48年(1973)5月、跨線橋とバス発着所、イチョウの木もある日吉駅西口
        (撮影 佐相政雄さん)

昭和9年(1934)、現日吉サンロードの東入り口あたり。東京から来たイチゴ狩りの人たち。左の森は現日吉商店街駐車場
         
(提供 加藤秀雄さん)

上の写真の現在
       (撮影 編集室・宿崎貞夫)

 昭和25年(1950)、戦後の内地引揚者用住宅として使われていた“カマボコ”兵舎。

 陸軍部隊が軍需工場の岡本工作機械製作所(現在のサンテラス日吉一帯)を防衛するため駐屯していたが、戦後、米軍接収後は“カマボコ”兵舎と呼ばれていた。
        (提供 佐相写真材料店)

昭和25年(1950)の赤門坂

 小石まじりの勾配の険しい坂道は緑深い木陰の道だった。夜は真っ暗闇、雨の日は泥んこ道、雪の日は雪の重みで折れた竹が道をふさぐ難所だった。でも南日吉の人たちは日吉台へ行くにはこの坂を登らなければならなかった。
        (撮影 佐相政雄さん)

現在の赤門坂
       
(撮影 編集室・岩田忠利)

昭和37年(1962)3月、日吉中央通り。両側の歩道にイチョウの街路樹があり、四季の移ろいを告げたもの。左側に只見陶器店・アライ靴店、右側に荒木果物店・小泉靴店
          
撮影 佐相政雄さん)

現在の日吉中央通り
       
(撮影 編集室・宿崎貞夫)

昭和43年(1968)、NHK番組「あなたのメロディー」に日吉の住民7名が作詞・作曲した「日吉の夜」が入選、和田弘とマヒナスターズの歌声が全国に流れた。右端が最近ご逝去された和田弘さん。
         (提供 岡田守弘さん)

明治期、綱島台の飯田助大夫廣配家の氷場で作られた氷は鶴見川岸の倉庫に貯蔵し、トラックの無い時代、鶴見川を船で下の絵の、飯田家直営の横浜の出店まで運んだ。

★飯田家の氷場の情景は第1巻「港北区編」に掲載。
         (提供 池谷光朗さん)

中区真砂町の飯田家の出店と氷蔵。夏場、ここから入港する外国船や外国の貿易商社などに売り込み、出荷した。
         (提供 池谷光朗さん)

昭和5年(1930)4月、昭和2年開業の綱島温泉電鉄樺シ営の大浴場(現東京園の前身)。入浴料20銭、ただし東横線往復乗車券お持ちの方は無料!
     (提供 とうよこ沿線編集室)

昭和5年(1930)4月の鶴見川土手(現綱島東、ピーチゴルフの所)。土手の桜とその左土手下に池谷家の桃の花、右土手下の河川敷にも桃の花、同時に咲き揃う花を楽しむ人の列。後方の丘は駒岡
      (提供 とうよこ沿線編集室)

昭和7年(1932)、綱島温泉組合加入旅館43軒中の1軒と芸者衆。

全盛期の綱島は旅館70軒、芸者衆300人を数えた。
         (提供 飯田正巳さん)

昭和10年(1935)、太尾町観音前の田んぼ。丘の上の建物は大倉精神文化研究所(現大倉山記念館)。丘の下を東西に走る道が現在の大倉山エルム通り。
      (提供 大倉精神文化研究所)

写真上の69年後の現在。中央は大綱中学校。
       (撮影 編集室・宿崎貞夫)

大正13年(1924)、太尾町の前川平吉さん宅。

手前の田んぼは現在大倉山東口商店街のビルとレモンロードになっている。
         (提供 池谷光朗さん)

上の写真の現在。後方突き当りは前川邸
      (撮影 編集室・宿崎貞夫)

昭和36年(196111月、篠原2丁目の丘の上からJR横浜線菊名駅を見下ろした風景。

 右手後方の丘陵地が昭和初期開発の錦が丘、左後方が東横線。横浜線ホーム沿いに朝日生命ビル、住宅地の中にウエストモール街の前身である西口マーケットがすでにできていた。
         (撮影 本田芳治さん)

上の写真と同じ場所から見た平成6年(1994)4月の景観。中央左右に屋根付きの横浜線ホームが見える。
         (撮影 本田芳治さん)

昭和25(1950)、満々と水をたたえた菊名池にボートが一艘
        (提供 佐相写真材料店)

上の写真の昭和62年(1987
       (撮影 編集室・岩田忠利)

 水道道から南の菊名池部分はご覧のような横浜市営「菊名池プール」に。夏場2カ月間はかなり遠方から来る人もいて急に街が賑わう。

昭和55年(1980)7月、妙蓮寺駅にほど近い仲手原2丁目にあった吉村模型鉄道館
            (提供 編集室)

昭和36年(1961)6月、新幹線工事着工当時の新横浜駅前の風景。

 左の小屋は現在の新横浜駅前にあったポンプ小屋。畑の草取りをするのは篠原町の金子進さんのご家族。一望の田畑、建物や車の影は見られない。虫の羽音まで聞こえてきそうな静かな田園風景だ。
         (撮影 本田芳治さん)

昭和36年(1961)6月、新横浜駅篠原口近く。牛のいる坊海道
         (撮影 本田芳治さん)

 後方の母「早く、いらっしゃい!」。手前の子「でも〜……」。初めて牛を見て尻込みする男の子。

 写真後方の民家は篠原町・田中裕さん宅など。道の左側あたりに現在篠原郵便局が建っている。

昭和44年(1964)4月、写真上の牛がいた道と牛を怖がった男の子。後方は新幹線
         (撮影 本田芳治さん)

上の写真の現在。目の前の建物は篠原郵便局
       (撮影 編集室・宿崎貞夫)

昭和58年、正面が新横浜駅。中央の道路は新横浜・元石川線。

まだ高層ビルはない。
       (撮影 編集室・岩田忠利)

上の写真の現在。新横浜駅前の広い幹線道路は高層ビルが林立し

“谷間の通り”のようだ。
       (撮影 編集室・宿崎貞夫)

昭和38年(1963)、上麻生道路の新設工事。左手は現在レストラン藍屋、岸根公園駅方面を望む。
                   (提供 高橋 稔さん)

上の写真の現在。右車線の車は岸根交差点からの渋滞
     (撮影 編集室・宿崎貞夫)

昭和25年(1950)、早渕川の御霊橋から新吉田御霊方面を望む。橋から手前は高田町
        (提供 佐相写真材料店)

現在の御霊橋
       
(撮影 編集室・宿崎貞夫)

昭和13年(1938))7月、大洪水で鶴見川の支流、百目鬼堀が決壊、水が引いた後。

土手の左右が決壊場所。後方左に新田尋常高等小学校が見える.
         (提供 加藤清明さん)

写真上の百目鬼堀決壊場所あたりの現在。堀の跡地は一方通行車道と快適な散歩道に。     
       (撮影 編集室・岩田忠利)

昭和25(1950)6月、現高田西5丁目・長円寺前の田んぼの田植え
         (提供 横川直二さん)

水田だったソフィア綱島から見た写真上の現在。桃畑は高田上耕地第二公園に。
       (撮影 編集室・宿崎貞夫)

「明治時代の民家編」
    
16軒のうちの1軒。

武蔵国橘樹郡大豆戸村
  (現港北区大豆戸町)

椎橋宗輔家(養蚕業。元名主)
      屋号「安山」 

9代目当主・椎橋忠雄さん

当時の黒門は江戸末期の作で港北区篠原町の東林寺に移築。

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