写真集「わがまちの昔と今」

第3巻 神奈川区編

大正12年9月1日、高島町にあった2代目・横浜駅が今、大震災に遭い、黒煙に包まれている。ラジオなどの情報媒体もなく、デマが飛び交い、ホームは逃げ惑う人であふれ我先に貨車に飛び乗り、逃げ急ぐ人々
              (提供 長谷川弘和さん)

昭和4年8月19日午後5時15分頃、世界一周飛行の途上、北海道から南下し横浜市街にさしかかった飛行船チェッペリン号。
高さ35メートルの横浜開港記念館の塔にも見物人が群がっている
                  (提供 清月堂)

昭和30年9月5日、横浜駅の「裏口」と呼ばれていた頃の現在の横浜駅西口。ホームに停車中の電車は東横線
                 (提供 長谷川弘和さん)

昭和45年5月、作詞家・石本美由起先生宅の新築祝いに駆けつけた皆さん、右から美空ひばりの母・加藤喜美子さん、一人おいて作曲家・古賀政男、その後ろに作曲家・服部良一、古賀政男の隣に石本美由起、その隣にご存じ・美空ひばり
              (提供 石本美由起さん)
大正時代の新子安海水浴場。新子安駅からの沿道には水着や海水帽などを売る露店が並び、割烹旅館「水明楼」が繁盛していた。この海水浴場の地に現在は日本ビクター、日本石油、日産自動車、安田倉庫、大日本精糖、昭和電工など大企業の工場群となっている
                   (提供 池谷光朗さん)
昭和38年3月、漁に出る子安浜の漁民。当時の船は出力が小さいために帆を張って風力を使っていた。
                   (提供 加山留吉さん)
昭和20年、横浜大空襲で焦土となった東神奈川、子安方面を桐畑の青木小学校前から望む。
                 (提供 市立青木小学校)
昭和10年の栗田谷の坂。周囲は畑と藪、その急坂を登って通学するのは捜真女学校の女学生と横浜専門学校(現神奈川大学)の男子学生。
                    (提供 神奈川大学)

昭和24315日から3カ月間、日本貿易博覧会が現反町公園一帯を会場にして開催された。そのとき昭和天皇・皇后両陛下の行幸を歓迎する入場者。中央はシンボルタワー。
           (提供 鈴木写真館)

大正時代、無料公開の横浜ガーデン正門。メタセコイヤの大木の下、左右に大きなライオンのブロンズ像がお出迎え、門柱に「観覧御随意」と記されている。約5万坪のガーデン山一帯は証券業を営む大澤幸次郎さんが大正初期に買い入れ、長男・大澤幸雄さんが山腹に温室や動物小屋を建て、花を栽培し「横浜ガーデン」として無料で一般公開していた。
                      (提供 大澤家)
昭和12年7月、当時珍しかったプールが青木小学校に完成。
これを視察に来られた皇族、北白川宮道久殿下(右端の囲みの中の幼少のお姿)。
                    (提供 青木小学校)
昭和30年、「カナコー(神奈川工業学校)」で親しまれた新制県立神奈川工業高校の運動会。その模様は後方を走る東横線の車窓からも眺められた。
                   (提供 山田昌一さん)
昭和8年6月、州崎大神の祭りの行列が二ツ谷通りをゆく。現在地は神奈川区役所と神奈川体育館との間、二ツ谷橋の所。
                   (提供 福田秀光さん)
昭和43年8月、市電の終点「六角橋停留所」
                   (提供 永森邦雄さん)
昭和21年2月29日、昭和天皇陛下は戦後初の巡幸に横浜と川崎を選らばれた。横浜市内では焼け跡からの復興が最も早かった大口商店街を視察された。
                    (提供 大口商店街)

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