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写真集「わがまちの昔と今」

第5巻 青葉区編

昭和42年6月。造成中のたまプラーザ駅前。左上に第1号ビルの県公社ビル(現109)が見える。
                
(提供 矢口正男さん)
平成14年6月、上の写真と同方向を望む
昭和42年、駅前の空き地に県公社ビルが建ち、話題となる。
                (提供 倉本文雄さん)
平成14年、上の写真と同じ場所から撮影。県公社ビル右上に見える
高原の駅を思わせるたまプラーザ駅
                (提供 矢口正男さん)
昭和40年、工事中の高架下から通称「丸山の水車」を正面に見る。右手の竹やぶは野本ヤスさんの家。
               
(撮影 故根本藤吉さん)
上の写真と同方向を望む現在。ここは今、あざみ野駅前バスターミナル。野本家は正面森の中に当時のまま茅葺きの家で現存
昭和12年2月、山内小学校上棟式。ちなみに建設費は建坪664坪で41,250円也
                (提供 徳江義治さん)
昭和37年10月、子供たちが遊んでいる所が現在の246号線、厚木街道。
                 (提供 徳江義治さん)
上の写真と同位置の現在。広い道路は246号線、左上のマンションは東急ドエルアルスあざみ野。
昭和41年3月、溝の口〜長津田間の開通を間近に控えて試運転の電車が市ヶ尾隧道に入る。
             
(『青葉区5年のあゆみ』より)
上の写真と同じ場所から見た現在の市ヶ尾隧道。246号線沿いは工事中
詩人・佐藤春夫が昭和19年に小説『田園の憂鬱』を執筆した鉄町の借家。
この作品で新進作家としても認められる。
                
(提供 坂田成一さん)

昭和4年春、小泉又次郎逓信大臣(小泉純一郎現首相の祖父。右側中央)が中里村鉄に来る。時の大臣が片田舎の鉄を訪れるとあって、村中大騒ぎ!
村長さんからお巡りさん、校長先生に引率された小学校児童まで村人総出でお迎え。
                   (提供 村田武さん)

この小泉逓信大臣は現代でも「入れ墨(いれずみ)大臣」の異名をもつ立志伝中の人物。とび職から身を起こし独学で小学校教師となり新聞記者などを経て衆議院議員当選12回、衆議院副議長などを歴任、普通選挙・護憲運動に尽力した。引退後は横須賀の実家で孫の“純ちゃん”とよく遊び、良き相談相手であった。現首相の人格形成に最も影響を与えた人といわれている 。

昭和15年、現もえぎ野池(当時は大谷戸の池)の堤防工事。
                
 (提供 石原博さん)
昭和39年3月、田園都市線開通前の青葉台駅前周辺をつつじが丘から望む。
建物は右手に造成工事の飯場、左手にトンネル工事の飯場が見えるだけ。
後方の丘は中央に青葉台2丁目、右奥が松風台、左が榎が丘。
                
 (提供 古性浩さん)
昭和39年3月、現駅前の公団住宅あたりはクヌギ林で、すぐにバケツが一杯になるほどワラビなどの野草を摘めた。
                 (提供 古性浩さん)
昭和40年4月、田園都市線開通当時の青葉台駅と手前に駅前通り。
後方高台の住宅はつつじが丘。
               
 (提供 藤本静江さん)
昭和42年、現たちばな台2丁目交差点 。
                
(提供 綾部直行さん)
現在のたちばな台2丁目交差点
昭和25年、神鳥前川神社の祭り。
               
 (提供 鴨志田清さん)
明治20年、村で有名なハイカラ青年、奈良町の土志田彦夫さん。
頭にソフト帽、首にスカーフ、手にハンドバッグ……。これらはすべて、村で一番早く買った自転車で横浜港まで駆けつけ、下船する外人客から買ったもの。
               
 (提供 土志田克さん)

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