更新 2011.7.30
更新 2009.9.5

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7月7日の七夕は、恒例の創刊記念日




 毎年7月7日は創刊記念日、恒例の「七夕祭り」。長さ8メートルもある大きな孟宗竹を会員・川田英明さんの山から運び、編集室前に立て、願いごとを書いた短冊で飾りつけます。この日ばかりは、老いも若きも無礼講のドンチャン騒ぎ・・・。

会員諸君、みな個性的です。即興ダンスの名人、隠れた歌手、この日ばかりはいやに張り切る者、あり
こちらは、手びり身ぶりでみんなを抱腹絶倒させる話術の名人。あれ、この人、元住吉駅前で見かけた、って?

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創刊6周年記念テレホンカード作成




 1986年7月、テレホンカードのデザインは、会員の漫画家・畑田國男のデザインで1000部作成。会員間だけで2週間ほどで売れきれ!

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『とうよこ沿線』テレホンサービス・・・「こんにちは、私も沿線人です」開始




 1986年12月15日、全国タウン誌初のテレホンサービス、スタート。
 NTT渋谷電報電話局(池田局長)が5回線を無料提供し協力。声のサービスのタイトルは「こんにちは! 私も沿線人です」。3分間電話で話すのは、沿線在住著名人。三雲孝江、北方謙三、高峰三枝子、淡谷のり子、松島トモ子、由美かおる、矢口高雄、楠本憲吉、大和田伸也さんら20名が順次登場し、1987年11月まで1年間続く。
読売新聞が報じたテレホンサービスの記事
第1回登場の三雲孝江さん

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第35号「代官山特集号」取材用に、あの同潤会アパートを無償提供者現る!




 1986年真夏、代官山を代表する会社の社長のもとに広告提供のお願いにあがったときのことです。初対面の社長から瓢箪からコマのような話が飛び出しました。

 「この暑い真夏、日吉から代官山まで毎日通って取材するのは並大抵のことではない。会社の前の同潤会アパートを最近改装したばかりで綺麗だから、そこをスタッフの皆さんと使いなさい!」
 代官山の目抜き通りの一等地を無償で借りられるなんて願ってもないお話。お言葉に甘えて借りることに。取材期間の1カ月、そこを拠点に連日代官山の街の隅々を取材して回ることができました。その部屋でみんなで会食、取材の打ち合わせ、昼寝などに活用、大いに助かりました。また楽しい思い出にも。

家族団らんのひとコマのようですが、同潤会アパートでのスタッフの夕食。駐車場付きのうえに、目の前に代官山郵便局や有名店がずらっと並び、かつては、このアパートに福田赳夫元首相、女優・水の江滝子も住んでいたと聞くと、少々かりそめのエリート気分に・・・。

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大晦日 「渋谷〜横浜山下公園」踏破 第1回ナイトウォークラリー」




 1986年12月31日、住民参加のイベントにするため会員9名が下見を兼ねて実施
私も若い会員と一緒に歩いてみた第1回。田園調布駅で

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第2回中国料理の実習と試食会




 1987年5月26日、川崎市中原区・中原市民館で。講師は料理研究家・波多野須美さんで開催

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中高年会員の交流の場「ゆずり葉の会」発足




 「東横沿線を語る会」には小学生から大学生までの学生層、お勤めの独身男女の青年層、家庭の主婦層、それに中高年層と各年代層の人たちが「とうよこ沿線」編集・配本という共通項の元に集まっています。中高年者にも活動の場を・・・と40歳以上の会員54名が発足会員となり、1987年9月「ゆずり葉の会」発足。
 同年11月27日、「第1回代官山散策と会食の会」開催。以来、定例行事を実施。会報「ゆずり葉」は平成元年7月創刊。



「歌手・淡谷のり子さんを囲む会」。二子玉川の富士観会館で。写真は手前から編集次長・鈴木善子、淡谷さん、岩田。
 芸能界のご意見番と言われた淡谷のり子さんは、私に会うたび、こんな嬉しい言葉でいつも元気づけてくださいました。
 「ね〜、あなた、困ったときは私に声をかけなさい! 私が飛んで行って歌でも話でもしてあげるから・・・」。というわけではなく、 「ゆずり葉の会」の会員とシニアの読者を対象に上記の会を開催。当日は、淡谷さんに聞きたいことを出席者が何でも質問できる趣向。
人生経験豊富な彼女、どんな質問にも当意即妙、例の“淡谷節”で答えが返ってきます。

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大晦日 「渋谷〜横浜山下公園34キロを146名が踏破 第2回ナイトウォークラリー」





 1987年12月31日、定員100名に360人が申し込み。参加者は沿線在住者168名に限定し、それに事務局スタッフ11名参加。完歩者146名。


渋谷出発前のグループ


第1チェックポイント・八雲商店街


ゴールの山下公園・ザホテルヨコハマに着いたグループ


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「編集室のパパさん」こと、鈴木 寛告別式




 1989年3月15日。岩田編集長の義父、鈴木善子の夫、編集室の建物の所有者である鈴木寛が胃がんで死去。享年70歳。創刊以来本誌の存続に物心両面で貢献、会員からは「パパさん」で親しまれていた。

 定年後、会員の食事・帳簿付け・掃除など編集室の裏方に徹していた。入院中も病院のベッドの上で空き箱を机にして経理事務に励んでいて、「オレは病との闘い。お前たちは仕事との闘いだ。早く帰って仕事をやれ!」が口癖だった。

「とうよこ沿線」存続に貢献した義父・故鈴木 寛

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会員が書き溜めた「記楽帳」は83冊、ダンボール箱3個に満杯




 お互いの連絡事項、会議のお知らせ、編集や取材のノウハウ、その日の出来事、意見や提案、エッセイ、写真、イラストなど会員が自由に、気楽に書きたいことを書く、編集室備え付けの“大学ノート”が「記楽帳」。

 この「記楽帳」には小学生から大学生までの学生会員、20代〜30代の独身男女がそのときの心境を思いのままに綴っています。これは、編集室の当時の状況を映した“生きた歴史”であり、彼らの“青春時代のシンボル”でもあります。彼らがおじいちゃん、おばあちゃんになるまで私は大事に保管したいと思う。

「記楽帳」第84号(責任者/吉野嘉高)までを私の手元で保管しています。

ご覧になりたい方、いつでもどうぞ!
読むなら書こう!「記楽帳」
さあ! 次号は自由が丘だ!
 
この記事、どなたの?

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神奈川県初の「平成2年度サントリー地域文化賞」受賞





 財団法人サントリー文化財団が地域文化の向上に顕著な貢献をした個人・団体を顕彰する“サントリー地域文化賞”。第12回の平成2年度は本会が「タウン誌出版を核とした優れたコミュニティー活動」という表彰事由で神奈川県下で初受賞。
 授賞式と記念パーティーは、1990年6月18日、大阪の全日空ホテル・シェラトンに各界から約300人が集まり挙行。本会からは岩田忠利・鈴木善子・山室まさ・川島(旧姓上井)徹が出席。

授賞式後の記念パーティーでサントリー文化財団理事長・佐治敬三さん(サントリー社長)と談笑する私たち一行。左から実家の兄、2番目が佐治理事長、右が岩田、手前の和服が義母・鈴木善子


会場内に設けられた「とうよこ沿線」の活動紹介コーナーの一角。パソコン通信ホスト局「とうよこNET」の実演も披露しました


佐治理事長から表彰盾を授与される岩田





岩田忠利の受賞者スピーチ








 
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パソコン通信ホスト局『とうよこNET』開局




 1990年7月7日午後3時、スタート。開局は活字媒体の本誌と通信媒体「とうよこNET」とのメデアミックスで、より新鮮な情報提供とより多くの情報収集、さらに住民交流の活性化をめざすもの。
 通信機器は自前のもののほか、日本電気鰍ゥらデスク型パソコン2台、ノートパソコン3台、プリンタ1台、モデム5台などが無料貸与。

 開局の模様は、NHK横浜放送局の取材でNHK総合テレビで同年7月26日午前11時半〜正午の番組「くらしの情報」で開局時の録画と岩田編集長の話を放送。

 デスクトップ型パソコン4台、ノートパソコン3台、最新鋭のプリンタが並んでいた、当編集室内の「とうよこNET」ホスト局。上に掲げた標示は「『とうよこNET』は、あなたの生活必需品!」。
 今から20年前のこと、当時パソコンは、とにかく高額で1台50万円ほど。とくに写真左端の2台のパソコンの間にあるプリンタはNECが売り出したばかりの話題の最新鋭機種。我々には手が出ない価額180万円も・・・。もの珍しさにわざわざ当編集室に見に訪ねてくる人もかなりいました。
「とうよこNET」開局時のスタッフ。まさに老若男女、1歳から84歳までと曾孫まで揃うファミリー
撮影するNHKスタッフとパソコで情報発信する会員の慶大生・荒瀬くん。右はNHK・ディレクター・岡部さん
日頃のネット上の交信を離れて交流するオフ会を編集室にほど近い箕輪町公会堂で開く。超満員に集まった「とうよこNET」の会員

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世界へ日本紹介メディア『LOOK JAPAN』に岩田編集長登場!




 『LOOK JAPAN』は民間出身の外務大臣だった大来佐武郎さんが中心になって編集・発行組織を設立、昭和32年から国際化時代を予見し世界へ向けた日本の現状を紹介し続けている雑誌です。 
 1990年9月1日発行『LOOK JAPAN」』NO.414に岩田忠利が初めて英文で世界に紹介されました。
タイトルは「Over the Line」(沿線を越えて) 「CULTURAL CREATORS:Tadatoshi Iwata」。

「LOOKJAPAN」no.414表紙
上の写真は創刊10周年記念号、NO.50“柾”の表紙。下の写真は第2回大晦日ナイトウォークラリーでゴールの伊勢山皇大神宮で参加者が神主からお神酒をいただくシーン。

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トリプル祝賀会開催・・・ 
「サントリー地域文化賞」 「創刊10周年記念」 「とうよこNET開局」





 1990年9月3日、三つの祝賀を兼ねたパーティーは、ザホテルヨコハマに関係者250名が集まり、司会は三雲孝江さん(当時TBSアナウンサー)、祝辞に作家・北方謙三さん、漫画家・矢口高雄さん、俳優・大和田伸也さんらが壇上に上り、日本書道会の重鎮・青山杉雨先生の乾杯の音頭で始まる。
 会場には日本電気葛ヲ賛で幅10bの超大型スクリーンが張られ、「とうよこNET」のメニューなどがアップされ、同時に女性横笛奏者・梅原百華さん、プロ声楽家の独唱、日本舞踊などの演目が次々披露され、トリプル祝賀会にふさわしい和やかな雰囲気のうちにお開きとなった。
 
 なお、当日の酒類などはすべてサントリー提供。
 この模様は、同年9月5日、東急CATV(現イッツコム)の番組「最近の出来事」で放送。
来場者を会場入り口で迎えるスタッフ。手前の赤ちゃんは高橋奈々子さんでお腹にいる時からお母さんと一緒に取材や広告取りに活躍していた戦力


総合司会の三雲孝江さんと助手の西野くん


ご出席の皆様に主催者として挨拶する岩田。横は妻ひろみ

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乳幼児と親の集団「バオバブの会」(会長・佐藤由美)発足




 1990年10月10日、乳幼児の母親である女性会員4人が発起人となり、「吹き飛ばせ育児ノイローゼ」をスローガンに読者に呼びかけ、沿線のパパやママが子供と一緒にのびのびと遊ぶことを目的に発足。以後、月1回のイベントと会報「バオバブ」発行で着実にその輪を広げた。

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大晦日 「渋谷・NHK放送センター前〜桜木町・伊勢山皇大神宮」
32キロ踏破「第3回ナイトウォークラリー」





 1990年12月31日、参加者約300人。その模様はNHKラジオの「元旦特別番組」で全国とブラジルなど海外にも実況放送される。
第3回ナイトウォークを陰で支えた人たち

第1チェックポイントで鯛焼き、コーラなどをこてなした八雲商店街役員


お汁粉をもてなした田園調布・浅間神社


第3チェックポイントの編集室では甘酒サービス


ゴールで完歩者に神官のお払いとお神酒を振舞った伊勢山皇大神宮



完歩者にふるまう樽酒など提供のスポンサー各社


一緒に歩いて実況中継したNHK・福原健二アナ


第4チェックポイントの白楽駅前、ナターシャではスープの支給


何度も会議を開いて事前準備をしたスタッフたち


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岩田忠利が大阪朝日放送のTV番組「生きる」に登場。
朝日系列全国30局で放送





 1991年1月18日午前10時15分からの15分間、日曜番組「生きる」。大阪から来たスタッフ4人(ディレクター・カメラマン・照明・音響)は新横浜のホテルに宿泊、4日間連日編集室に通って岩田を密着取材。雑誌づくりを通した「生き方」や「考え方」、「人生観」や「会員の活動の模様」を取材。

番組のスポンサー財団法人住友生命健康財団が番組登場者を冊子でも紹介

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戦跡−日吉台地下壕見学会




 1991年12月14日(パールハーバー50周年記念日)に帝国海軍の連合艦隊司令部があった慶応義塾キャンパス地下壕に会員と読者25人がもぐり、同地下壕を保存する会・寺田貞治事務局長の案内で見学。

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「とうよこ沿線」編集室の法人化




 過去12年間、編集室の運営は個人の経済的・精神的負担によって託されてきたが、今後の維持、存続のため沿線有志22名が株主となり、1994年1月19日法人設立登記。代表取締役・岩田忠利

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高田中央病院25周年記念誌「すこやか」編集




 1998年12月26日、医療法人高田中央病院の創立25周年記念誌「すこやか」編集、完了! 

 この本は、荏原光夫院長と荏原寿枝副院長とが医学生の頃からの夢である病院を創立、夫妻で治療の現場で活躍するかたわら、病院経営に二人三脚で携わってきた25年間の集大成。

医療法人高田中央病院創立25周年記念誌「すこやか」表紙


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