振り向けば 地域活動31年
更新 2011.7.30
更新 2009.9.5

 皆さん、その後お変わりありませんか? 
 沿線雑誌『とうよこ沿線』にかかわること24年、その後「えんせんシニアネット」を立上げて7年、じつに多くの皆さんと出会いました。あの顔、この顔が走馬灯のように目に浮かびます。

 振り向けば悲喜こもごも、いろ〜んなことがありました。でも、あっという間の31年・・・。ここに、地域の皆様とともに歩んできた地域活動の足跡を書き記します。

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01 第1回設立準備委員会開催


1980年2月4日、神奈川県中小企業指導士で経済ルポライターである岩田忠利は、「東横沿線を語る会」設立とコミュニティー誌発行を思い立ち、義母鈴木善子ほか3名に呼びかけ、東横沿線の地域特性などの研究と仲間募集開始。

02 新聞折り込みチラシで仲間募集


1980年3月。「東横沿線の皆さん、こんな活動に参加しませんか」という意見広告チラシをつくり、朝日新聞専売所(日吉・菊名・武蔵小杉)を通して8000枚を新聞折込みで配布。その結果、19人の賛同者が現れる
 
 
「こういう折込み広告、初めて見た! 私も参加したい」 「さすが東横沿線、住民が住民の雑誌を作るなんて、素晴らしい!」そんな賛同や励ましの電話が矢継ぎ早に掛かってくる。大学生、主婦、会社員、商店主・・・。なかには産経新聞横浜支局長や朝日小学生新聞編集長からも。
 
 その数日後のこと。三十代の女性のお客さんがあり、「うちにこんな変わった折込み広告が入っていたんですが、この話を具体的に聞きたいんですが・・・」と名刺を差し出しました。「朝日新聞横浜支局 記者 越村佳代子」の名刺。その2日後、彼女から電話「明日の横浜版と川崎版に載ります」。

 翌早朝、日吉駅売店で朝日新聞を買って見ると、なんと地方版の題字の横、トップ記事・・・。それからというもの、電話が鳴りっぱなし。
A4サイズの紙に黒一色で片面だけの地味な新聞折込みチラシ。
 派手なカラーの多色刷りの売り込みチラシのなかで異色だった

03 東横沿線を語る会・発起人会 開催


1980年4月1日、沿線住民17名が設立発起人会に出席。会の名称、会の所在地、活動内容、会員資格、代表者選任、機関雑誌の名称、編集方針、運営費の捻出方法などを決議する。
本部・・・横浜市港北区日吉4-4-17
会代表者・・・岩田忠利
会員資格・・・沿線住民及び沿線勤務者なら年齢・職業・国籍を問わず、門戸を開放する
定款と会則・・・住民の自発性・個性・良心を尊重し、原則として設けない。

毎日新聞(1980年5月8日付け朝刊)掲載写真から転載。

 発起人会の会議中、横浜支局の飯塚記者は、出席者の発言が消極的になるのを恐れてツイタテの陰の机に座って取材していました。それを知っているのは、私・岩田だけ。重要な会議だけに活発にアイデア、意見が続出! 3時間以上も延々続く会議に私は飯塚記者のことが気がかり。トイレは? 咳払いは?
04 創刊号出稿後、ローマ法王謁見随行員としてヨーロッパの旅


1980年6月17日〜28日 世界のキリスト教信者7億4000万人の主導者であるローマ法王、パウロU世を日本仏教会副会長・川田聖見氏(真言宗豊山派管長。総本山・長谷寺化主)が表敬訪問するため、随行団37名の一人として私も川田特使の計らいで参加。創刊号の原稿を出稿し終え、出来栄えが気になったが、気分転換には良い機会。旅はローマ〜バチカン〜フランス・パリ〜イギリス・ロンドン〜西ドイツ〜東ドイツ〜西ドイツ〜帰国(本誌NO.2 P.70参照)
写真はローマ法王、パウロU世とバチカン宮殿サンビェトロ広場で5万人の大群衆注視の中での川田聖見団長(手前)との会見シーン。右の男性は通訳。1〜2メートルの至近距離で撮影
共産圏の東ドイツとの国境を仕切る“ベルリンの壁”の前で。
 政治と無関係の宗教団体ということで特別に共産圏の東ドイツへの入国許可が下り、市内観光。だが、バス内に警官が乗り込み、撮影は一切禁止。

05 創刊号“夏”(本文52ページ)発刊と3班編成で駅頭でキャンペーン


1980年7月7日、創刊号発刊。全会員が参加し3班編成で東横線中目黒駅〜反町駅の18駅改札周辺で乗客に手渡しで無料配布の「創刊記念キャンペーン」実施。
ミス横浜の天野由加さん(綱島在住)も東横線各駅での創刊号無料配布キャンペーンに参加
創刊号の反響。読者からたくさんの激励、感謝などが。なかに劇作家・北条秀司、水谷八重子さんからの便りも
創刊号表紙
 
06 テレビ朝日が「主婦がつくる沿線雑誌」と題し15分間放送


 東横沿線をヘリコプターで空撮した画面がクローズアップされた後、自由が丘の商店街で広告セールス中の活動や編集会議の模様、参加した主婦会員の感想などを中継。
テレビ画面。写真は菊名駅近くの錦が丘の住宅地。
 テレビはカラー画面ですが当時の雑誌本文がモノクロのため写真もモノクロ
東横線の電車を下に見ながらアナウンサーにマイクを向けられる会員・吉谷恵美子さん。日吉で
07 創刊第2号“秋”(本文108ページ)発刊


新聞各紙・テレビ・ラジオで創刊号を取り上げたため、その反響は大きく、一気に会員が増える。意欲ある会員の担当誌面を増やしたために地域雑誌異例の108ページに。
 
 配本は無料配布で法人・個人問わず希望者には最高100冊進呈。会員には一人当たり最高300冊まで進呈。新刊が印刷所から納品されると、皆さんどこで聞きつけたのか、翌朝編集室のシャッター前の綱島街道には新刊を受け取りに来た車がずら〜っと並んでいる。

 創刊号の本文紙数56ページが、会員が一気に70人を超え、勢いページ数が増えて本文108ページになった第2号表紙。
 以来、試行錯誤を繰り返しながら平成12年7月発行の第74号“棗(なつめ)”まで20年間沿線雑誌「とうよこ沿線」を発行。
 
 その後、同時進行で発行してきた写真集「わが町の昔と今」シリーズの発行に専念。

 

08 「第1回外国人と日本語で話す集い」
慶応大学日吉校舎7教室で開催


1980年10月19日、慶応大学日吉校舎で。定員60名の4倍を超える申込みと好評。青山日本語学校と提携、同校で日本語を学ぶアメリカ・イギリス・ドイツ・フランス・オーストラリア・フィリッピン・台湾・イスラエルの8カ国、18名の沿線在住外国人が参加。教室は大学が休みの日曜日に7教室を開放してもらう。
1グループ、外国人3人・日本人7人で編成して6グループ。グループごとにテーマを決めて話し合う。
グループの代表が話し合いの結果を参加者全員を前に報告し、質疑応答。
 30年前のこと、まだ外国人は少なく、来日して日本語を学び、日本文化を知りたいという人たち、どなたも紳士淑女。もちろん、日本人も。
09 手作りの本(製本)教室


1980年11月16日、日吉地区センターで開催。講師・川崎常子さん

10 長洲神奈川県知事も愛読者。知事室訪問


 1980年10月17日、長洲一二神奈川県知事が「とうよこ沿線」の創刊号と創刊2号をどこで手に入れたのか、すでに読んでいるという情報を耳にし。長洲知事を表敬訪問することに。そのときの知事との会話を同行した鈴木善子は本誌第2号に以下のように書いている。

 「これがかの有名な、「とうよこ沿線」ですか」と長洲知事さんの開口一番。「1号も良くできていたが、また一段と充実しましたね」。「これだけの本を作るのは大変だったでしょう」。「タウン誌はいっぱい出ていますけど、発刊の動機そのものが、この雑誌はユニークですね」。「私は新聞やテレビで見て、期待してたんですよ。こういう雑誌はみんなで育てていきたい」。「機会があれば、私も書きますよ」

神奈川県庁の知事室で。左は本誌を手にする長洲一二知事。右が私
11 樹木名を号名とする創刊3号“柊”発刊


 1980年12月1日第3号発刊。本号から沿線の自然保護を啓蒙する意味から緑の象徴である「樹木の名前、一文字」を号名とし、今後継続することに
第3号“柊”表紙。写真は大倉山公園で遊ぶ子どもたち。撮影:岩田忠利

 この3号から誌名「とうよこ沿線」の右に号名を掲載。
 木偏に「冬」で柊、木偏に「春」で椿、「夏」で榎、「秋」で楸、というように毎号の号名を樹木名、一文字の表記にし、それが最終刊、第74号“棗(なつめ)”まで続ける。
12 第2回外国人と日本語で話す集い


 1981年1月25日、慶応大学日吉校舎で前回の申し込み漏れの人が対象。

13 第4号“椿”から有料化、1冊200円


 1981年3月1日、第4号“椿”発行。本誌購読を希望する長洲一二神奈川県知事と伊藤三郎川崎市長を表敬訪問した際、有料化して継続するようアドバイスを受け、有料化に踏み切る。東横線・大井町線・目蒲線の駅売店、沿線の書店・喫茶店・レストラン・病院売店など普及協力先で販売。
 1980年10月、伊藤三郎川崎市長を市長室に訪ねる。
 このとき伊藤市長は私に「とうよこ沿線」の有料化を強く推し進めた。

 「こういう立派な雑誌なら読みたい人がいっぱいいるでしょう。無料では本当に読みたい人の手に届かないのでは? 日本人の悪い習性に『タダなら貰わなければ損』というのがあって、真の読者ではないのですね。お金を出しても読みたい人が読者です。川崎民家園も最初は無料でした。無料の入場者は民家園を見学するのが目的ではなかったのですね。有料にしたら施設を汚さないでちゃんと観るように・・・。「とうよこ沿線」の有料化を私は勧めますよ」
14 読者300人にアメリカ芙蓉の苗木プレゼント


 1981年3月から4月までの日曜日、中原区井田・高尾重達さん提供の苗木を読者に進呈。

15 えんせん農園開園。読者と野菜作り


 1981年5月から横浜市港北新吉田町の約400坪の畑を借り、読者と野菜作り

16 本誌7号“萩”敬老の日プレゼント2000冊


 1981年9月10日、第7号“萩”を沿線在住・在勤の65歳以上の人に2000冊進呈。

17 元住吉西口商店街で移動編集室


 1981年10月4日、元住吉西口商店街で会員50名と楠本憲吉先生ら顧問4名が参加した移動編集室。「住民の街への要望」アンケート調査や住民交流の「カラオケのど自慢大会」、フィナーレは会員による信州産直リンゴなどの叩き売り大会も。
本会主催「素人のど自慢大会」。
トンコ節で一世を風靡した往年の歌手・久保幸江さん(元住吉在住)も、ステージに上がって・・・♪あなたがくれた 帯どめの〜
産直の信州リンゴなどの叩き売りシーン。市価の半額以下、飛ぶように売れました

18 デスクキャップ制スタート


 1981年11月の第9号“梅”の取材・編集から岩田編集長を補佐する編集面のリーダー役、デスクキャップ制を導入。初回は9号のデスクキャップに佐藤保子さん(大倉山・主婦)が務め、以後会員が毎号交代し、第37号の高橋(旧姓斉藤)かすみさんまで続く。

19 読者と会員の集い 
・・・ 丹沢湖と富士見窯見物の一日陶芸教室


 1982年3月28日、読者と会員の集いを貸し切り大型バスで丹沢湖めぐりと御殿場の大自然の中の陶芸センター、富士見窯で手づくり陶芸を楽しむ
御殿場の陶芸センター、“炎の里 富士見窯”の広い、大きなガラス張りの陶芸場。雪をかぶった富士山を見ながらどなたも子どもに返ってキャ〜キャ〜、陶芸に興ずる

20 第1回東横沿線を歩く会


 1982年6月13日、本誌掲載の名所旧跡を探訪するオリエンテーリング。菊名東口駅前から鶴見区馬場町の藤本農園(現花木園)まで
順次出発した各班がゴールの鶴見区馬場町の藤本農園に到着する

21 『とうよこ沿線』と同年の赤ちゃん 
食事と横浜湾内一周の遊覧船招待


 1982年8月、ザホテルヨコハマと遊覧船「赤い靴号」の協賛で、創刊2周年記念に「とうよこ沿線」の創刊と同い年の赤ちゃんとその家族16組を招待

22 来日間もないハワイ出身力士の餅つき


1982年9月5日、自由が丘南口商店街(現マリクレール)主催の「チャリティー餅つき大会」の取材。
ハワイから来日したばかりの若い力士がぎこちない手つきで杵を持ち、餅つき。その名は「若高見」。のち、めきめき頭角を現し大関昇進の「小錦」、青春時代のひとコマ
左が大関・小錦の若い頃
23 .第2回東横沿線を歩く会


 1982年9月26日、大田区田園調布・宝来公園から世田谷区野毛公園までオリエンテーリング。同公園の屋外に野外ステージをつくり友情出演の「横浜カルテット」のナマ演奏を聴く。

24 第1回〜第6回綱島文化寄席開催


 1982年10月16日、第1回綱島文化寄席を三遊亭遊三、同小遊三、春風亭柳橋、柳亭小痴楽ら落語家の協力を得て綱島の中国料理店で開く。翌年11月3日まで6回、隔月で公演。出演者は毎回出血サービスで熱演、立ち見がでる賑わい。
いろんな愉快な噺家が次々見えました。
写真は三遊亭小遊三さん

25 335人が参加の.『とうよこ沿線』イラスト・マンガ大会
各界著名人が審査委員で


 1983年1月、小学生から社会人まで335名が応募。全作品をホテルザ・エルシーのロビーに展示し一般公開。題は「21世紀のお正月」。審査員は淡谷のり子、王貞治、楠本憲吉、矢口高雄、高峰三枝子、中井貴一、三雲孝江さんら。

巨人軍多摩川グラウンドで忙しい監督業の合間に応募作品を審査される王貞治監督


武蔵小杉駅前のホテルザエルシ-で各賞表彰式


小学生の部、中学生の部、高校生の部、大学生・社会人の部、各賞受賞者

26 会員・平井雅、「現代っ子しつけレポート」取材で渡米


 1983年1月、アメリカと東横沿線の母親アンケート比較を取材のためカルフォルニア州へ渡米。第14号から16号に連載。

27 特集取材2チームが三宅島と西伊豆へ取材


1983年6月、大自然の中で教育問題と真っ向から取り組む二つの集団「三宅島 人間牧場」と電気・ガス・水道のない生活体験の場を子どもたちに提供する 「西伊豆・田園調布ホピア」を取材する2チームが出発
電気もガスも水道もない西伊豆山中。その非日常的な3泊4日の生活体験取材中のスタッフ。帰ってきたスタッフ諸君に感想を聞くと「楽しかった〜、いくらお金を払っても泊まれない最高のホテルだもの!」
中学生会員の数野くん、どんなに眠くても朝起きたらマキ割りが担当。彼が寝坊すると、全員が朝食にありつけないのだ。責任重大!
28 「わが街シリーズ」連載スタート!


1983年9月、毎号一定地域を多方面から徹底取材する「わが街シリーズ」が3班、3地域に分かれて取材。第18号“梨”の特集「元住吉・日吉・祐天寺編」から開始!

29 連載「沿線の河川」も、
一色隆徳(学生。祐天寺)をチーフに始まる!


1983年11月取材開始。太古から生活用水だった沿線の川・・・。それが今“死の川”と化した現状を源流から河口まで探索する連載「沿線の河川」。第1回は19号“柿”の「目黒川」。以下、順次第36号まで連載。A二ケ領用水 B六郷用水 C多摩川 D谷沢川 E鶴見川 F矢上川 G渋川 H呑川 I九品仏川 J滝の川 K三田用水 L渋谷川

30 独身男女出会いの場「縁線で愛コーナー」連載好評!


1984年3月発行の第19号から第29号まで交際希望の男女が誌面に登場。その数合計126名。そのうち8組が「とうよこ沿線」が縁結びの神となり、めでたく結婚

31 毎戸へチラシ配り(ポスティング)、開始!


1984年7月から特集号宣伝のため会員がチラシを毎戸の郵便受に投函して歩くチラシ配り(ポスティング)。毎号1万部〜3万部印刷。
 第23号「大倉山特集号」から始める。24号「都立大学」、25号「綱島」、26号「自由が丘」、27号「反町・東神奈川」、28号「田園調布」、29号「横浜」、30号「中目黒」、32号「日吉」、33号「元住吉」、など東横沿線地域だけでなく大井町線・目黒線・池上線・南武線・横浜線など各沿線の43号「武蔵小山」まで続けた。
 その範囲は都内の東が港区青山の青山学院大学、北が東名高速道路・用賀インター、南が第二京浜国道。川崎は北が溝の口、南が鹿島田。横浜の南端は港の見える丘や山手の丘まで。当時はまだポスティングは少なく、会員の一軒一軒回る地道の努力は即効性があり、その日のうちに書店の在庫がなくなり、夜は車で特集号の追加納品で忙しい。これで、「とうよこ沿線」の知名度は一気に急上昇

32 西郷道一横浜市長との懇談会と
ヘリで上空から横浜市内視察


1984年7月31日、編集長・岩田忠利と編集次長・鈴木善子が横浜市市民局主催の懇談会に出席。テーマは「西郷道一横浜市長と語る『横浜の街づくり』」。
 岩田編集長から「東横沿線の駅前の駐輪問題の現状を訴え、市側の対応策について質問する」。閉会後、本牧からヘリコプターで横浜上空から市街地・神奈川区・港北区・都筑区・青葉区などを視察する。

33 読者向け「中国料理の実習と試食会」


1985年2月24日、川崎市中原区・小杉会館で。講師は料理研究家・波多野須美さん。定員50名、会費500円(材料費込み)。大幅に定員オーバー。

34 .衣料品・家庭用品の不用品交換会


1985年4月21日、読者に呼びかけ、編集室1階でお中元・お歳暮・渡来品を持ち寄り、即売会。手数料は売り上げの10パーセント。綱島街道に面する編集室とあってドラーバーやご近所の人も集まり、賑わう。

35 創刊5周年記念、総額50万円の愛読者プレゼント


1985年8月、第29号“桑”で読者600人が当る総額150万円相当商品の数々をプレゼント!

36 全国408誌の中から選ばれ「第1回NTTタウン誌大賞」受賞!


11月のある日、突然朗報が舞い込む! NTT事業部が全国に新聞・テレビで呼びかけ、408誌を集めて「第1回NTTタウン誌フェスティバル」を開催。その中から本誌「とうよこ沿線」が「第1回NTTタウン誌大賞」という栄えある賞を受賞することに・・・。1985年11月22日、品川パシフィックホテルでの授賞式には岩田忠利、鈴木善子、一色隆徳が出席。
「第1回NTTタウン誌大賞」を選考委員会代表・渡辺文雄さん(俳優)から授与される岩田と鈴木善子
当日全国各地から集まった受賞者の皆様

37 NHKテレビ「関東甲信越ネットワーク」に登場


 1986年1月13日放送。「第1回NTTタウン誌大賞」受賞の「とうよこ沿線」編集長ということで、NHK横浜放送局スタッフが当編集室に来室、岩田編集長の雑誌編集中の模様、横浜の街づくりについての意見などを実況中継。

38 神奈川テレビが「火曜特集番組」最終回編で
30分間放送の特集「ハイ、こちら編集室です」


 1986年3月26日放送。「とうよこ沿線」発行の目的、編集会議、取材、街中での広告募集、チラシ配りなど発行からPRまでの会員の活動を追って・・・。

39 住民が作る新聞『CROSS』創刊


 1986年5月、無料紙でタブロイド版。4面に本誌未掲載の生活情報、イベント情報などを掲載。配布は毎号会員が地域にポスティング。以後、6号まで発行し、人手不足のため廃刊。

40 7月7日の七夕は、恒例の創刊記念日


毎年7月7日は創刊記念日、恒例の「七夕祭り」。長さ8メートルもある大きな孟宗竹を会員・川田英明さんの山から運び、編集室前に立て、願いごとを書いた短冊で飾りつけます。この日ばかりは、老いも若きも無礼講のドンチャン騒ぎ・・・。
会員諸君、みな個性的です。即興ダンスの名人、隠れた歌手、この日ばかりはいやに張り切る者、あり
こちらは、手びり身ぶりでみんなを抱腹絶倒させる話術の名人。あれ、この人、元住吉駅前で見かけた、って?
41 創刊6周年記念テレホンカード作成


1986年7月、テレホンカードのデザインは、会員の漫画家・畑田國男のデザインで1000部作成。会員間だけで2週間ほどで売れきれ!

42 『とうよこ沿線』テレホンサービス
・・・「こんにちは、私も沿線人です」開始


1986年12月15日、全国タウン誌初のテレホンサービス、スタート。
 NTT渋谷電報電話局(池田局長)が5回線を無料提供し協力。声のサービスのタイトルは「こんにちは! 私も沿線人です」。3分間電話で話すのは、沿線在住著名人。三雲孝江、北方謙三、高峰三枝子、淡谷のり子、松島トモ子、由美かおる、矢口高雄、楠本憲吉、大和田伸也さんら20名が順次登場し、1987年11月まで1年間続く。
読売新聞が報じたテレホンサービスの記事
43 第35号「代官山特集号」取材用に、
あの同潤会アパートを無償提供者現る!


1986年真夏、代官山を代表する会社の社長のもとに広告提供のお願いにあがったときのことです。初対面の社長から瓢箪からコマのような話が飛び出しました。
 「この暑い真夏、日吉から代官山まで毎日通って取材するのは並大抵のことではない。会社の前の同潤会アパートを最近改装したばかりで綺麗だから、そこをスタッフの皆さんと使いなさい!」
 代官山の目抜き通りの一等地を無償で借りられるなんて願ってもないお話。お言葉に甘えて借りることに。取材期間の1カ月、そこを拠点に連日代官山の街の隅々を取材して回ることができました。その部屋でみんなで会食、取材の打ち合わせ、昼寝などに活用、大いに助かりました。また楽しい思い出にも。
家族団らんのひとコマのようですが、同潤会アパートでのスタッフの夕食。駐車場付きのうえに、目の前に代官山郵便局や有名店がずらっと並び、かつては、このアパートに福田赳夫元首相、女優・水の江滝子も住んでいたと聞くと、少々かりそめのエリート気分に・・・。
44 大晦日 「渋谷〜横浜山下公園」踏破
第1回ナイトウォークラリー」


1986年12月31日、住民参加のイベントにするため会員9名が下見を兼ねて実施
私も若い会員と一緒に歩いてみた第1回。田園調布駅で

45 第2回中国料理の実習と試食会


1987年5月26日、川崎市中原区・中原市民館で。講師は料理研究家・波多野須美さんで開催

46 中高年会員の交流の場「ゆずり葉の会」発足


「東横沿線を語る会」には小学生から大学生までの学生層、お勤めの独身男女の青年層、家庭の主婦層、それに中高年層と各年代層の人たちが「とうよこ沿線」編集・配本という共通項の元に集まっています。中高年者にも活動の場を・・・と40歳以上の会員54名が発足会員となり、1987年9月「ゆずり葉の会」発足。
 同年11月27日、「第1回代官山散策と会食の会」開催。以来、定例行事を実施。会報「ゆずり葉」は平成元年7月創刊。
「歌手・淡谷のり子さんを囲む会」。二子玉川の富士観会館で。写真は手前から編集次長・鈴木善子、淡谷さん、岩田。
 芸能界のご意見番と言われた淡谷のり子さんは、私に会うたび、こんな嬉しい言葉でいつも元気づけてくださいました。
 「ね〜、あなた、困ったときは私に声をかけなさい! 私が飛んで行って歌でも話でもしてあげるから・・・」。というわけではなく、 「ゆずり葉の会」の会員とシニアの読者を対象に上記の会を開催。当日は、淡谷さんに聞きたいことを出席者が何でも質問できる趣向。
人生経験豊富な彼女、どんな質問にも当意即妙、例の“淡谷節”で答えが返ってきます。
47 .大晦日 「渋谷〜横浜山下公園34キロを146名が踏破
第2回ナイトウォークラリー」


1987年12月31日、定員100名に360人が申し込み。参加者は沿線在住者168名に限定し、それに事務局スタッフ11名参加。完歩者146名。

渋谷出発前のグループ

第1チェックポイント・八雲商店街


ゴールの山下公園・ザホテルヨコハマに着いたグループ


48 「編集室のパパさん」こと、鈴木 寛告別式


 1989年3月15日。岩田編集長の義父、鈴木善子の夫、編集室の建物の所有者である鈴木寛が胃がんで死去。享年70歳。創刊以来本誌の存続に物心両面で貢献、会員からは「パパさん」で親しまれていた。
 
 定年後、会員の食事・帳簿付け・掃除など編集室の裏方に徹していた。入院中も病院のベッドの上で空き箱を机にして経理事務に励んでいて、「オレは病との闘い。お前たちは仕事との闘いだ。早く帰って仕事をやれ!」が口癖だった。
「とうよこ沿線」存続に貢献した義父・故鈴木 寛

49 会員が書き溜めた「記楽帳」はダンボール箱に満杯


 お互いの連絡事項、会議のお知らせ、編集や取材のノウハウ、その日の出来事、意見や提案、エッセイ、写真、イラストなど会員が自由に、気楽に書きたいことを書く、編集室備え付けの“大学ノート”が「記楽帳」。
 
 この「記楽帳」には小学生から大学生までの学生会員、20代〜30代の独身男女がそのときの心境を思いのままに綴っています。これは、編集室の当時の状況を映した“生きた歴史”であり、彼らの“青春時代のシンボル”でもあります。彼らがおじいちゃん、おばあちゃんになるまで私は大事に保管したいと思う。
「記楽帳」第84号(責任者/吉野嘉高)までを私の手元で保管しています。

ご覧になりたい方、いつでもどうぞ!
読むなら書こう!「記楽帳」
さあ! 次号は自由が丘だ!
 
この記事、どなたの?

50 神奈川県初の「平成2年度サントリー地域文化賞」受賞


財団法人サントリー文化財団が地域文化の向上に顕著な貢献をした個人・団体を顕彰する“サントリー地域文化賞”。第12回の平成2年度は本会が「タウン誌出版を核とした優れたコミュニティー活動」という表彰事由で神奈川県下で初受賞。
 授賞式と記念パーティーは、1990年6月18日、大阪の全日空ホテル・シェラトンに各界から約300人が集まり挙行。本会からは岩田忠利・鈴木善子・山室まさ・川島(旧姓上井)徹が出席。

授賞式後の記念パーティーでサントリー文化財団理事長・佐治敬三さん(サントリー社長)と談笑する私たち一行。左から実家の兄、2番目が佐治理事長、右が岩田、手前の和服が義母・鈴木善子


会場内に設けられた「とうよこ沿線」の活動紹介コーナーの一角。パソコン通信ホスト局「とうよこNET」の実演も披露しました

佐治理事長から表彰盾を授与される岩田

受賞者スピーチ
 
51 パソコン通信ホスト局『とうよこNET』開局


1990年7月7日午後3時、スタート。開局は活字媒体の本誌と通信媒体「とうよこNET」とのメデアミックスで、より新鮮な情報提供とより多くの情報収集、さらに住民交流の活性化をめざすもの。
 通信機器は自前のもののほか、日本電気鰍ゥらデスク型パソコン2台、ノートパソコン3台、プリンタ1台、モデム5台などが無料貸与。
 開局の模様は、NHK横浜放送局の取材でNHK総合テレビで同年7月26日午前11時半〜正午の番組「くらしの情報」で開局時の録画と岩田編集長の話を放送。
 デスクトップ型パソコン4台、ノートパソコン3台、最新鋭のプリンタが並んでいた、当編集室内の「とうよこNET」ホスト局。上に掲げた標示は「『とうよこNET』は、あなたの生活必需品!」。
 今から20年前のこと、当時パソコンは、とにかく高額で1台50万円ほど。とくに写真左端の2台のパソコンの間にあるプリンタはNECが売り出したばかりの話題の最新鋭機種。我々には手が出ない価額180万円も・・・。もの珍しさにわざわざ当編集室に見に訪ねてくる人もかなりいました。
「とうよこNET」開局時のスタッフ。まさに老若男女、1歳から84歳までと曾孫まで揃うファミリー

52 世界へ日本紹介メディア「LOOK JAPAN]に岩田が登場!


 「LOOK JAPAN」」は民間出身の外務大臣だった大来佐武郎さんが中心になって編集・発行組織を設立、昭和32年から国際化時代を予見し世界へ向けた日本の現状を紹介し続けている雑誌です。 
 1990年9月1日発行「LOOK JAPAN」」NO.414に岩田忠利が初めて英文で世界に紹介されました。タイトルは「Over the Line」(沿線を越えて) 「CULTURAL CREATORS:Tadatoshi Iwata」。

「LOOKJAPAN」no.414表紙
上の写真は創刊10周年記念号、NO.50“柾”の表紙。下の写真は第2回大晦日ナイトウォークラリーでゴールの伊勢山皇大神宮で参加者が神主からお神酒をいただくシーン。
53 トリプル祝賀会開催・・・ 
「サントリー地域文化賞」 「創刊10周年記念」 「とうよこNET開局」


 1990年9月3日、三つの祝賀を兼ねたパーティーは、ザホテルヨコハマに関係者250名が集まり、司会は三雲孝江さん(当時TBSアナウンサー)、祝辞に作家・北方謙三さん、漫画家・矢口高雄さん、俳優・大和田伸也さんらが壇上に上り、日本書道会の重鎮・青山杉雨先生の乾杯の音頭で始まる。
 会場には日本電気葛ヲ賛で幅10bの超大型スクリーンが張られ、「とうよこNET」のメニューなどがアップされ、同時に女性横笛奏者・梅原百華さん、プロ声楽家の独唱、日本舞踊などの演目が次々披露され、トリプル祝賀会にふさわしい和やかな雰囲気のうちにお開きとなった。なお、当日の酒類などはすべてサントリー提供。
 この模様は、同年9月5日、東急CATV(現イッツコム)の番組「最近の出来事」で放送。
来場者を会場入り口で迎えるスタッフ。手前の赤ちゃんは高橋奈々子さんでお腹にいる時からお母さんと一緒に取材や広告取りに活躍していた戦力
ご出席の皆様に主催者として挨拶する岩田。横は妻ひろみ

54 乳幼児と親の集団「バオバブの会」(会長・佐藤由美)発足


 1990年10月10日、乳幼児の母親である女性会員4人が発起人となり、「吹き飛ばせ育児ノイローゼ」をスローガンに読者に呼びかけ、沿線のパパやママが子供と一緒にのびのびと遊ぶことを目的に発足。以後、月1回のイベントと会報「バオバブ」発行で着実にその輪を広げた。

55 大晦日 「渋谷・NHK放送センター前〜桜木町・伊勢山皇大神宮」
32キロ踏破「第3回ナイトウォークラリー」


 1990年12月31日、参加者約300人。その模様はNHKラジオの「元旦特別番組」で全国とブラジルなど海外にも実況放送される。
第3回ナイトウォークを陰で支えた人たち

第1チェックポイントで鯛焼き、コーラなどをこてなした八雲商店街役員


お汁粉をもてなした田園調布・浅間神社


第3チェックポイントの編集室では甘酒サービス


ゴールで完歩者に神官のお払いとお神酒を振舞った伊勢山皇大神宮



完歩者にふるまう樽酒など提供のスポンサー各社


一緒に歩いて実況中継したNHK・福原健二アナ


第4チェックポイントの白楽駅前、ナターシャではスープの支給


何度も会議を開いて事前準備をしたスタッフたち


56 岩田忠利が大阪朝日放送のTV番組「生きる」に登場。
朝日系列全国30局で放送


 1991年1月18日午前10時15分からの15分間、日曜番組「生きる」。大阪から来たスタッフ4人(ディレクター・カメラマン・照明・音響)は新横浜のホテルに宿泊、4日間連日編集室に通って岩田を密着取材。雑誌づくりを通した「生き方」や「考え方」、「人生観」や「会員の活動の模様」を取材。
番組のスポンサー財団法人住友生命健康財団が番組登場者を冊子でも紹介
57 戦跡−日吉台地下壕見学会


 1991年12月14日(パールハーバー50周年記念日)に帝国海軍の連合艦隊司令部があった慶応義塾キャンパス地下壕に会員と読者25人がもぐり、同地下壕を保存する会・寺田貞治事務局長の案内で見学。

58 「とうよこ沿線」編集室の法人化


 過去12年間、編集室の運営は個人の経済的・精神的負担によって託されてきたが、今後の維持、存続のため沿線有志22名が株主となり、1994年1月19日法人設立登記。代表取締役・岩田忠利

59 高田中央病院25周年記念誌「すこやか」編集


1998年12月26日、医療法人高田中央病院の創立25周年記念誌「すこやか」編集、完了! この本は、荏原光夫院長と荏原寿枝副院長とが医学生の頃からの夢である病院を創立、夫妻で治療の現場で活躍するかたわら、病院経営に二人三脚で携わってきた25年間の集大成。
医療法人高田中央病院創立25周年記念誌「すこやか」表紙
60 会員・山室まさ著『雀のお宿』を編集


1999年3月21日、山室まさ著「雀のお宿」企画・編集、完了。84歳だった山室まささんは記憶力に優れ、関東大震災や横浜大空襲、その後の困窮時代の世相や自らの体験を鮮明に覚えていまました。この貴重な生活史を毎日メモ書きするよう勧め、それを添削、加筆し一冊にまとめたもの。
山室まさ著「雀のお宿」表紙。
日本経済新聞全国版、毎日新聞全国版、神奈川新聞など新聞・雑誌に紹介され、大きな反響がありました。
61 20世紀を残す写真集『わが町の昔と今 第1巻港北区編』発刊
その後、シリーズで第8巻まで発行


 20世紀末の2000年(平成12年)に当たり、創刊20周年記念事業として過去20年間の集大成に「とうよこ沿線」創刊号からの好評連載「アルバム拝借」掲載の港北区内の昔の写真、それに新規に収集した古写真を合わせて編集した写真集『わが町の昔と今 第1巻「港北区編」』を2000年3月1日発刊。
書店で売り切れが続発。追加に次ぐ追加の注文が殺到、完売。第2版、増刷も売り切れ。

 続いて、2000年10月1日発行は、川崎市内の中原区・高津区南西部・幸区を取り上げた「わが町の昔と今 第2巻川崎中部編」。これも売り切れ、現在在庫なし。
 2001年2月15日発行の第3巻「神奈川区編」は、神奈川区役所が協力し神奈川区内全域を取り上げる。
 2001年11月15日発行の「第4巻都筑区&城郷地区編」(売り切れ)。2002年6月20日発行の「第5巻青葉区編」。2003年1月20日発行の「第6巻緑区編」。2003年7月25日発行の「第7巻鶴見区編」。
 港北区民の皆様から「港北区続編」を! の要望に応えて2004年4月25日、「第8巻港北区続編」を発行。
20世紀を残す写真集「わが町の昔と今」シリーズ

第1巻「港北区編」
本の在庫なし。CD版発売中


第2巻「川崎中部編」
本の在庫なし。CD版発売中


第3巻「神奈川区編」
本の在庫あり


第4巻「都筑区&城郷編」
本の在庫なし。CD版発売中


第5巻「青葉区編」
本の在庫あり


第6巻「緑区編」
本の在庫あり


第7巻「鶴見区編」
本の在庫あり


第8巻「港北区続編」
本の在庫あり


62 神奈川区役所主催「ミニコミ講習会」講師要請


2001年6月、神奈川区役所地域振興課生涯学習係で区民参加の「ミニコミ講習会」を開催。講師依頼があり、岩田忠利(総論担当)・品田みほ(実技担当)で週1回、2カ月講師に。

63 鈴木善子現役引退、「ママさんを囲む会」


2001年10月、編集次長の鈴木善子が満80歳となり、日吉の自宅から編集室までの歩行が困難なため現役引退を決意。編集仲間が一色隆徳さんを中心に「ママさんを囲む会」を開催。
創刊以来21年余、かつての編集仲間も歳相応の容貌に
64 神奈川区役所主催「ミニコミ講習会」講師要請


2002年7月から2カ月、岩田忠利と品田みほが講師に。

65 .鶴見区江ヶ崎町内会主催「昔の写真を見ての懇談会」


2003年10月5日、新鶴見小学校コミュニテイハウスに鶴見区江ヶ崎町内の写真集「第7巻鶴見区編」購読者有志が集まり、往時の町内を語り合う。編集室から岩田忠利と小山和雄さん出席。

66 中高年ボランティアグループ「えんせんシニアネット」 
(http://.ensen-senior.com 略称E・S・N)設立


 2004年5月16日、発起人8名が当編集室に集まり、会の名称・目的・会員資格・事業内容・会則・役員などを決め、「えんせんシニアネット」をスタートさせた。
 会員は東急の鉄道・バス路線沿線に在住、在勤者ならびにその沿線ゆかりの人で、 45歳以上のメールアドレスを持っていることが入会資格。
 主な事業の一つはシニア会員を対象としたIT(情報通信技術)講習会を企画実行することと当該ホームページとメーリングリストを通じての情報交換、人的交流を行うこと。

67 .ESNパソコン教室、開設


 2004年8月2日、当編集室を模様替えして45歳以上のシニア対象のパソコン教室を開講。ポスター、チラシ、地域紙で開講を宣伝し地元の日吉地区を中心に希望者が増え、開講2カ月で75名の受講生となる。
2004年8月2日開講日当日の打ち合わせ会

68 初のスライドショー開催


 2005年3月3日午後6時30分〜9時、日吉康楽飯店に「えんせんシニアネット」初の親睦パーティーが開かれ、「わが町語ろうかい(会)」と名づけた初のスライドショーを実施。題は「港北の変貌」。参加者19名。

69 テレビ神奈川と提携し
連続テレビ番組「この道はいつか来た道」放送(全13回)


2005年4月23日の第1回放送から7月23日の第13回まで、写真集「 わが町の昔と今」の写真をもとに中原街道と綱島街道沿いの町の光景や古老の話を放送。全13回の元原稿と取材先の紹介は編集長・岩田忠利が担当。語りは落語家・桂米丸師匠。
「この道はいつかきた道」DVD版(6回放送分)

 丸子橋〜中原街道・小杉御殿町〜港北ニュータウン/綱島街道・武蔵小杉〜元住吉〜日吉〜綱島
「この道はいつかきた道」DVD版(7回放送分)

大倉山〜高田・新吉田・新羽〜新横浜〜菊名・妙蓮寺~六角橋〜東神奈川・子安〜横浜
70 神奈川区役所主催「情報紙編集講座」講師要請


2006年1月19日(金曜)から毎週金曜、5回講座。そのうち私は最初の2回は講義、3回、4回は受講生25名が5組に分かれ、企画・取材・執筆・編集の実践。それを編集ボランティア9名がアドバイス。最後の5回目の講座は5グループの作品発表に私が講評し、講座の全日程が終わる

71 スライドショーの模様が、NHKラジオで全国にナマ放送


 2006年2月21日、NHKラジオ番組「今日も元気! わくわくラジオ」で当編集室でのスライドショーの場面が土肥佳子レポーターによって全国に実況中継された。

72 デジカメ愛好家の会「ESNデジタルフォト写友会」発足


 2006年5月28日「えんせんシニアネット」のパソコン教室の受講者対象にデジタルフォトカメラ撮影技術の向上と親睦を目的に設立。毎月、撮影した作品をファイルで事務局に提出し写真家・宿崎貞夫氏の審査を受け、講評してもらい指導を受ける。
発起人が集まって[ESNデジタルフォト写友会」がスタート! 講師は中央・ピンクのシャツの宿崎貞夫さん
73 日吉台小学校開校133周年記念日に
スライドショー「日吉の昔と今」


2006年6月23日、全校児童702名と教職員40名、観客総数742人・・・。これだけの人数が体育館に集まっただけでも迫力があります。画面に映る日吉の街の変貌ぶりに一斉に「ワァ〜、ワァ〜・・・」。その甲高い子どもたちの驚嘆の合唱はいつまでも耳にこびりついています。
創立記念日に742人が体育館に集まって私が映すスライドに歓声をあげる、そのボルテージといったら・・・。
74 港北区役所の港北区生涯学級で講演


2006年7月6日、港北区役所主催「港北区生涯学級」の17年度最終講座として「港北の今と昔」と題し、
講演。希望者が多く、抽選で当たった人、58名が出席。講演後、17年度の卒業生と港北区長ら主催者側役員との親睦会にも出席。

75 「第20回あざみ野まつり」に写真パネル展示


 2006年8月、夏休み最後の土曜日の夜、人出3万人ともいわれる「あざみ野まつり」に小著「わが町の昔と今」第5巻青葉区編の中の写真をパネル展示、たくさんの人の関心をよぶ。

76 「第22回大倉山 秋の芸術祭」に「ESN作品展」として初参加


 2006年10月31日〜11月2日の3日間、大倉山記念館第7会議室を借り切り、“港北区民の文化祭”といわれる同芸術祭にESN作品展が初参加した。出展作品はESNデジタルフォト写友会会員の写真とパソコン水彩画講座受講者の水彩画、計40点。展示物の会場では最多の参観者数を集め、賑わった。
出展した作品を集めた写真集の表紙。写真は本会の会場入り口。
 この写真集のほかに宿崎貞夫講師が作成した3冊の写真集があります。
会員が描いたパソコン水彩画も出展

77 日本電気竃{社がパソコン2台寄贈


2006年12月6日、長年の地域貢献活動を評価され、デスクトップ型PC2台(XP)を寄贈される。

78 「とうよこ沿線」ホームページが40日ぶりにリニューアル復活


 「とうよこ沿線」ホームページの創刊は1997年1月22日。以来約10年比較的順調に推移してきたが、2006年11月のある日、突如クラッシュ・・・。前ウエブマスターと連絡が取れず苦慮したが、試行錯誤の末、新管理人・桜田まゆみさんの手ですっかり模様替えし、再開! それは2006年12月26日のこと。

79 ネット連載「ヒデ坊のカナダ便り」始まる!


 ESNパソコン教室の受講生だった武井英明さんが「カナダ・バンクーバーで過ごす」という定年後の夢を実現。
 「月2回、カナダの便りを写真を添えて送ってね!」の私の頼みにヒデ坊さんが応え、第1便が2007年1月7日届く。ESNホームページのウエブマスター・高田光弘さんの編集で第1回掲載。以後、帰国するまでの第13回まで続く。

80 飯島一世著「写真集『あざみ野』
〜あの時の昭和・平成〜」を編集


 2007年4月17日発行。神奈川県都筑郡山内村(現青葉区あざみ野)に生まれ育った著者は地元の学校卒業後、日本光学鰍ノ勤め、彼が青年時代から撮り溜めた写真を古希を記念にまとめたもの。
発行後、朝日新聞県版、神奈川新聞などに取り上げられ、反響を呼び、売り切れ。
飯島一世著「写真集『あざみ野』〜あの時の昭和・平成〜」表紙

81 初の「lifeNet」親睦パーティー


 2007年5月16日(水曜)午後5時からギャラリー日吉で初のlifeNet親睦パーティー開催。平日とはいえ出席率100パーセント、26名全員が参加。

82 「lifeNetスタッフ養成講座」


 2007年6月10日(日)午前9時から会員13名が参加し「lifeNetスタッフ養成講座」(講師・岩田忠利)がギャラリー日吉で開かれる。ライフネットの目的・取材範囲、公開優先順位、情報の集め方・文章の書き方・写真の撮り方などの講義。昼食を日吉・康楽飯店でとり、散会。

83 日本電気竃{社がパソコン1台贈呈


 2007年7月12日、長年の地域活動を評価され、PC1台(型番PC-VL300JG)を寄贈される。

88 神奈川区区民協議会主催「区民のつどい」に写真パネル展


 2007年7月20日、同協議会主催の催しは440名を集めて神奈川公会堂で開かれた。会場入り口に第3巻「神奈川区編」からの転載写真を同協議会役員・柿田登さんがパネル製作し展示、多くの入場者の足を止めていた。
神奈川公会堂の場内入り口に展示された「神奈川区内の昔の風景や暮らしぶりを撮った写真パネル展」

89 「編集室のママさん」こと鈴木善子、急逝!


2006年9月6日午後、公私ともに私の“右腕”だった「とうよこ沿線」編集次長で義母の鈴木善子は、私と玄関先で話中、突然私の目の前に倒れ、緊急処置の甲斐なく急逝。享年86歳。
 会員のみんなから「編集室のママさん」と慕われ、「とうよこ沿線」の創刊準備段階から満80歳で現役引退まで私と一緒に活動してきた、編集室を支える大黒柱でした。
74歳のときの鈴木善子。、3度目のハワイへの旅で横綱武蔵丸の従兄弟と会って・・・
昭和60年(1971年)11月22日第1回NTTタウン誌大賞授賞式でテレビアナウンサーから感想を聞かれる鈴木善子
90 第2回えんせんシニアネット作品展」4日間開催


 2007年9月27日〜9月30日の4日間、ESNデジタルフォト写友会会員の写真とパソコン水彩画講座の皆さんの作品を四十数点展示。出展者の友人知人・家族が毎日訪れ、賑わった。土砂降りや炎暑の日など天候に恵まれなかった割りに4日間の来訪者総数225名は意外であった。
パソコン水彩画の描き方を実演する配野美矢子講師

※この写真はESNの広報で何度も使いました
4日間のある日、会場スナップ

91 「第1回森とせせらぎまつり」に屋外のパネル写真展と
沿線誌「とうよこ沿線」即売で参加


 2007年11月11日(日曜)、雨天の天気予報のため屋外会場を川崎市立下小田中小学校体育館に移し開催。演目が次々披露される会場内でライフネット会員が『とうよこ沿線』を販売(実績90冊)。南武線武蔵新城駅に近い、江川せせらぎ緑道の桜並木に長さ約10bのボードが設置され、『わが町の昔と今』第2巻「川崎中部編」から転載のパネル写真(A3サイズ)25枚が展示された(対比写真の現在の写真は主催側で展示)。
南武線武蔵新城駅近くの江川せせらぎ緑道に設置された長さ約10メートルの「屋外昔の写真展」
雨天のため下小田中小学校体育館に出店した

 
92 神奈川区制80周年記念式典」会場で
写真集「わが町の昔と今」第3巻のパネル展と即売


 2007年10月6日(土曜)午後4時から横浜市防災センター(神奈川区沢渡)に神奈川区内有力者350人が出席し“神奈川区制80周年記念式典”が行われた。会場には「わが町の昔と今」第3巻から転写の写真パネルが飾られ、たくさんの“人だかり”だった。その一角に写真集販売コーナー(担当:本会スタッフ7名)はその対応の大あらわ。

93 神奈川区制80周年記念まつり」に
東急電鉄鰍ニ共同で写真パネル展開催
 


 2007年10月7日(日曜)午前9時から開催の“神奈川区制80周年記念まつり”は反町公園一帯と神奈川区総合庁舎1階の「かながわ歴史紹介ゾーン」で行われた。
 タイトル「昔の神奈川区」のパネル写真展は同歴史紹介ゾーンの一角、長さ25メートルのパネルを見入る人たちの列が切れない。展示会場前に設けられた小著写真集『わが町の昔と今』シリーズと沿線雑誌『とうよこ沿線』即売コーナーが大賑わい。長年の読者や買い求める人々が絶えず、スタッフはその応対に追われた。天候に恵まれ、同区役所予想の人出7万人を超えた模様。
日ごろは区民の窓口で賑わう1階総合庁舎が東急電鉄鰍ニ「とうよこ沿線」とで展示したパネル写真展「昔の神奈川」のコーナーに一変。その開場前
写真集と「とうよこ沿線」バックナンバー即売コーナー。オレンジのTシャツ姿の会員の皆さんには大忙しの一日でした

94 「バンクーバー『とうよこ沿線』の会」、
初の海外拠点として発足


 「えんせんシニアネット・ホームページ」の連載、「ヒデ坊の『カナダ便り』」が1月10日に第23回で完結。2008年1月13日(カナダ時間。日曜)著者・武井英明さんの帰国送別会が東横沿線ゆかりの知人2名によってバンクーバーで行われた。今後の永続的交流とカナダ情報の窓口として「バンクーバー『とうよこ沿線』の会」が提案され、発足した。将来は世界の主要都市に窓口を広げるネットワーク化をはかり、『とうよこ沿線』が世界の情報の送受信と国籍を超えた人々の“草の根の交流の場”を提供していきたい。現在、世界各地に在住の知人友人の情報を募集中!
 
95 神奈川区役所主催「平成19年度情報紙編集講座」講師・岩田忠利で実施


 2008年1月16日(水曜)〜2月27日(水曜)の毎週水曜全7回。会場は神奈川区役所5階、神奈川区区民活動支援センター交流室。受講者と同区役所の生涯学習応援情報紙「ぐろーばる・あい」編集ボランティアの皆さんは「みんなのアイディアで紙面をつくろう」を合言葉に講師の講義後、企画・取材・執筆・レイアウト・校正を経て紙面を完成させる編集体験を実践した。

96 総務省の受託調査先、アライド・ブレインズのインタビュー取材


 2008年1月29日(火曜)午前10時から午後1時まで午前講座状況、「えんせんシニアネット」の活動内容、今後の活動予定、受講者と講師の講座の成果や効果などをアライド・ブレインズの内田斉さんが取材。インタビューの内容は総務省への報告書に掲載されるほか、内容によっては総務省発行の広報パンフレットにも掲載されることも。各地のシニアネットの中でも本会の活動がユニークで活発だとして選ばれたもの。

97 NEC主催「シニアネット安全教室」に会員が受講


 2008年2月6日開催の第1回講習会定員20人中、本会から13名が池袋の西武百貨店内のNEC施設で中高年者が騙されやすいネット上の詐欺行為や迷惑メールの防御策について受講。第2回は同年2月13日、芝住友ビル内のNEC施設で14名が受講しました。

98 「とうよこ沿線』創立28周年記念パーティー


 2008年3月24日(月)午後6時から慶應義塾大学日吉キャンパス・来往舎内のレストラン「ファカルティーラウンジ」に96名が出席。飲んで食べてお喋りしながら、パリ在住会員の話を聞き、シャンソンを聴き、フラを観る、楽しい宵のひと時でした。
 
 当日は3月下旬という年度の切り替え時、しかも月曜日。「とうよこ沿線」元スタッフで現役の皆さんから「出席したいのに、どうしてこんな時に」という苦情も続出。なのに、予想以上に盛会。
 とくに“晴れ男”を自負する実行委員長・武井英明さんのおかげで折からの雨も止み、司会・白藤明さんの手際の良さもあって数々のイベントを盛り込みながらも順調に進行、時間内に終了しました。後日の参考のため当日の内容を以下、記録しておきます。

  ○ 会費:アルコールを飲む人(飲み放題)6000円/ソフトドリンクの人(飲み放題)4500円
  ○式次第:開会の挨拶(実行委員長・武井英明)/主催者挨拶(「東横沿線を語る会」代表・岩田忠利)/来賓祝辞(K川一郎さん)/乾杯の音頭(高田中央病院副院長・荏原寿枝さん)
  ○ 催しもの:慶應義塾校歌と応援歌合唱(慶応大学硬式野球部有志)/パリの裏話(匿名希望)/シャンソン(ユミ武井)/フラダンス(岩田ひろみグループ)/黒田節独唱(吉川輝男)/木遣りと一本締め音頭(小山和雄)

実行委員長・武井さん、司会・白藤さん、
主催者・岩田らの顔が

岩田ひろみグループの
フラダンス


ユミ武井さんのシャンソン


慶大硬式野球部有志の校歌と応援歌

99 横浜市営地下鉄グリーンライン開通! 
10駅“記念乗車券”台紙作成に写真提供


2008年3月30日、港北ニュータウン地区など多くの住民が長年念願だった横浜線中山駅〜東横線日吉駅を結ぶ横浜市営地下鉄「グリーンライン(13.1キロ)が、開通しました。当日は記念乗車券セットトを求める人々が長蛇の列、どの駅でも10分ほどで売り切れ。新駅、10駅の記念乗車券を貼ったシートは、横浜市交通局の製作で1部2000円。
 このシートに掲載された昔の写真、4枚は、「とうよこ沿線編集室」提供で、昭和30年代の中山駅前、港北ニュータウン開発前のセンター南駅周辺と中川駅周辺。昭和30年代の東横線日吉駅ホーム。
遠方から鉄道マニアも押しかけ、あっというまに売り切れた「グリーンライン記念乗車券セット」
100 「バンクーバーの夕べ」


 2008年5月28日午後5時からギャラリー日吉に「とうよこ沿線」バンクーバー支部・支部長の矢野修三さんを迎え、出席者29名で「バンクーバーの夕べ」が開かれました。
 1年間のバンクーバー滞在記をESNのホームページに「ヒデ坊のカナダ便り」を連載した武井英明がスダイドショウーで「書けなかったバンクーバー」と題しトーク。つづいて矢野支部長の話「いまのバンクーバー」。ある出席者が「この人がいれば漫談家や落語家を呼ぶ必要ないね」と呟いたとおり、会場は爆笑の渦・・・。そこに、突如現れた“二輪の花”。二十代の若い演奏家、バイオリン奏者・岡田真実さんとフルート奏者・八木谷由梨さんの演奏が始まりました。会場は水を打ったようにシ〜ン・・・。
遠来の客、バンクーバーからの矢野修三支部長、熱演中!
宴の花、バイオリン奏者・岡田真実さんとフルート奏者・八木谷由梨さんの演奏をねぎらう岩田

101 「寺本舞依ピアノコンサート」


 2008年8月9日夜7時から日吉駅西口駅前、尾嶋ビル2階「カフェコラージュ」に会員16名が参加し「寺本舞依ピアノコンサート」は行われました。チケット2200円

102 神奈川東ロータリークラブ例会で岩田の講演


2008年8月15日、午後1時から横浜駅西口のホテル・キャメロット・ジャパン(旧ホテルリッチ)でメンバーを前に「わが国写真発祥地、横浜で探し歩く昔の写真」と題し講演。 
 江戸時代の横浜村、生麦事件、神奈川台関門、電信柱が建った東海道・生麦村などの写真をスライドで映しながら説明。
神奈川東ロータリークラブ例会で

103 570人が一堂に会し「音の響演フェシティバル」大成功!


 2008年10月20日(月曜)開場午後4時40分、開演午後5時30分 終演午後8時16分
 
 総合司会・西村奈歩さんの一声で始まり、会長岩田忠利が挨拶。第1部開演で◇津軽三味線演奏と歌と踊り(白戸会出演4名)◇フラダンス(岩田ひろみら出演10名)。5分間休憩を挟み、第2部開演で◇ハーモニカ合奏(はもっくすよこはま出演4名) ◇バリダンス(デニ稲葉ら2名)◇ シャンソン(ユミ武井) 20分間の休憩中にドアープライズ(お楽しみ抽選会)・・・入場券抽選と当選発表 第3部開演で◇若き音楽家「ティラミス」演奏(出演6名) ◇和太鼓「横浜都筑太鼓(出演10名) 以上出演者総数40名
 
 これを裏方で支えたスタッフは、舞台監督・照明・音響などのプロ集団、ミュージックジャンプ3名ならびに実行委員の会員42名、外部から頼んだ控室当番2名。スタッフ総数47名。前売りチケット1500円
  
 協賛先はイカリ環境事業グループ・大倉山アソカ幼稚園・大倉山動物園・大山書道芸術学院・菊名北町町内会・きくな湯田眼科・ギャラリー日吉・光洋自動機梶Eシミズ歯科・書道舟の会・高田中央病院・チロル幼稚園・日吉台町町内会・ピーチゴルフ・妙蓮寺レンタカー・八木料理研究会。
 
 ドアープライズの景品提供は、カナダ・バンクーバー支部・イカリ環境事業グループのほか会員各人の手作り品など品目総数44品。
 出演者、実行委員、いずれも全員が参加し、みな自分の持ち分の任務を果たし、来場者からは一件の苦情もなく、耳にしたのは感謝と感動の賛辞。こうしたたくさんの皆様の好意と熱意のお蔭で大成功裏に終了。
出演7グループと総合司会

津軽三味線演奏・歌・踊り(出演4名)


フラダンス(出演10名)


ハーモニカ演奏(4名)


バリダンス(出演2名)


ソロのシャンソン


クラシック演奏(6名)


和太鼓演奏(10名)


総合司会者


104 総務省発行モデル事例集に「えんせんシニアネット」、
全国5団体の一つとして登場!

 
 2008年11月8日、総務省情報流通行政局発行の広報パンフレット『高齢者のICT(情報通信)を活用した社会参加(事例集)』が届く。モデル事例は全国から選ばれた個人・団体の10例。個人が3事例、団体が7事例。そのうち任意団体は本会を含む2事例。全国あまたのシニアネットの中から本会が選ばれたことは光栄であり、今後の活動の大きな励みになりました。
 
総務省広報パンフレット(Å4判)表紙

タイトル「高齢者のICT(情報通信)を活用した社会参加」事例集

発行:総務省 情報流通業政局 情報通信利用促進課
10事例の一つ
「えんせんシニアネット」紹介ページ

105 「紫式部と源氏物語」入門編の勉強会開催


 2009年2月21日(土曜)午後1時半〜3時半、講師・山崎妙子さん(紫式部研究家)を迎え、当編集室に参加者10名で実施しました。
 

 
106 「寺本舞依ピアノリサイタル」
大倉山記念館ホールでESNが主催


 2009年3月17日(火曜)開場午後1時30分、開演午後2時で定員80人がほぼ満席。ゲスト出演のサックスフォン奏者・荒木絵美さんの演奏もあり、落ち着いた雰囲気でクラシックのピアノを聴き、みな満喫しました。チケット1500円
「寺本舞依ピアノリサイタル」シーン。右はゲスト出演の荒木絵美さん。ともに東京芸大を卒業して間もない若い音楽家
107 横浜開港150周年記念事業
「みんなでつくる横浜写真アルバム」フォーラム、岩田講演


 2009年3月28日(土曜)午後6時〜9時、神奈川地区センターで開催。タイトル「古写真を探して25年。その楽しさは」。その内容は、写真集「わが町の昔と今」シリーズ発行の編集方針と古写真収集のノウハウについて。メディア関係者、各区の区民協議会代表者、歴史研究団体役員、商工会議所、市担当職員など参加者約50人。

108 「とうよこ沿線」ホームページに
新メニュー「さくら&木花-World」掲載


 2009年4月4日、東京・川崎・横浜の東急沿線地域、全国各地、カナダの「さくらの名所」をESN会員有志が回って撮影、その写真と紹介文を掲載するメニュー「さくら-World」がWeb管理人・配野美矢子さんでスタート!
 2009年5月20日、桜の花が終わり、「さくら-World」内に「木花いろいろ」の掲載開始。メニュータイトル「さくら&木花-World」に変更する!
「さくら&木花-World」の「さくら編」には、会員が紹介する各地の「お花見名所」158カ所掲載!

 左の写真は、佐藤保子さん撮影の横浜市都筑区の「江川せせらぎ緑道」
「さくら&木花-World」の「木花編」には、会員紹介の「木花、木の実、樹姿」が354種掲載!

 左の写真は、北澤美代子さんのミッキーマウスの木の花

109 再度、神奈川東ロータリークラブ例会で岩田の講演


 2009年5月15日(金曜)午後1時から横浜駅西口のホテル・キャメロット・ジャパン(旧ホテルリッチ)で同クラブメンバー60人を前に講演。 今年は横浜が1859年(安政6年)開港して以来、150周年記念の年。テーマは「横浜開港当時の面影今昔」。開港と同時に横浜が世界への窓口となり、西洋文化がどっと流れ込んできた。その横浜事始めの数々・・・飲食品、サービス業各種、建築物、交通手段を紹介。

110 港北区制70周年に寄せて「港北生涯学級」で講演


2009年6月13日、港北区役所4階第1会議室で「港北生涯学級」の受講者と運営スタッフ、約100人が出席、「港北区制70周年に寄せて 港北の70年当時」と題し、講演。

111 ESN運営面の功労者、池田はるみさん逝く


2009年7月26日夕方、胃ガンの転移で死去。享年71歳。ESNの運営面の事務、イベント、会員親睦など多方面にボランティアで多大な貢献をされ、その死は多くの会員に惜しまれています。
平成21年春の池田はるみさん
112 「とうよこ沿線」ホームページに新メニュー「名木古木」構築


 2009年8月5日、東急沿線地域、全国各地の「名木古木」の連載スタート! 近年の地球温暖化や大気汚染など環境悪化で、何百年と生き長らえてきた名木古木がいま衰弱し枯れかかっています。もうすでに最近枯れてしまった巨木を何本も見てきました。ここに名木古木を紹介し、その生命力の素晴らしさを再認識し、その啓蒙に努めたい。
横浜市指定天然記念物 横浜市旭区西川島町嶋崎金子稲荷社のタブノキ 樹齢820年
 撮影:岩田忠利
113 「2010 えんせんシニアネット新年会」開催


 イベントといえば故池田はるみさんが中心となって会員の皆様に声をかけ、開催してきました。その本人が他界し今年は自粛ムードが漂っていました。しかし、これは故人の意に背くこととの意見もあり、今年も新年会を2010年1月23日(土曜)、ギャラリー日吉で開催することになりました。
 新年会は、意外にも1月入会したばかり井出真一路さんという“ニュースター”が登場、さながら彼のお披露目会兼独演会の様相を呈しました。
後方で立っている男性が独唱する井出真一路さん
 撮影:配野美矢子さん
 
114 「とうよこ沿線」バックナンバー、
東横沿線の図書館などに寄贈


 2010年6月14日、会員の石川佐智子さんと八城幸子さんにお手伝いをいただき、部屋一面に「とうよこ沿線」バックナンバー74号分を広げて、寄贈先ごとに取り揃え、ダンボール箱に入れて荷造りしました。それは女性の力ではとても持ち上がらない重量です。
  寄贈先は、横浜市中央図書館が各号2冊ずつ138冊を筆頭に目黒区立中央図書館、神奈川図書館、川崎市立中原図書館、港北区役所地域振興課生涯学習支援センター。
 
1個のバインダーに12冊ずつ入っている
「とうよこ沿線」のバックナンバー
115 「故池田はるみさんを偲ぶ会」開催


 生前の故人が特に親交が深かった宮木和子さんと酒井暢子さんの発案で「同偲ぶ会」は、2010年7月14日(水曜日)午後4時からギャラリー日吉で開かれました。正面に宮木和子さんと故人とのツーショットの写真と生花が飾られ、その前で故人との思い出話で会は終始、盛り上がりました。
正面、私(岩田忠利)の背後にかわいい祭壇がしつらえてあります
 撮影:武井英明さん

116 「とうよこ沿線」ホームページ連載「樹木シリーズCD版」完成! 
各方面に寄贈


 2009年4月4日から「花見の名所」の取材活動に始まり、続いて樹木の花・果実・樹木の姿の取材にはいり、同時進行で「名木古木」を追いかけ、2010年6月30日まで集めたその全画像とデータをCD(下の写真)にまとめました。
 題して「私たちが出合った樹木〜みんなで撮って、書いた! 樹木情報1069件」
 
 このCDには投稿参加者36名の画像ファイルが拡大写真の分も含め1件2枚ずつ、計3266個。そのほかにデータファイルが184個、計3450個のファイルが詰まっています。
 
 校正などの編集やジャケット印刷と裁断、それのCDケースへの差し込みなど格別のご協力をいただきました以下の皆さまに心から感謝申し上げます。
 
 配野美矢子さん、石川佐智子さん、北澤美代子さん、八城幸子さん

 このCDは、投稿者、東横沿線地区の各図書館、関係する小中学校、緑化や公園などを担当する役所の窓口、新聞社など報道機関に寄贈しましました。
 
 樹木がCO2(二酸化炭素)を吸収し空気浄化につながることを若い人たちに再確認させる啓蒙になればとの趣旨から実行しました。
CDケースのジャケット表紙 レーベル
117 田中央病院の2011年版カレンダー「あったかい自然」、完成!


 写真が趣味の同病院副院長の荏原寿枝先生が1年間撮り溜めた写真約2000枚の中から月々の写真12枚と表紙の写真を選び出し、編集しました。このカレンダーは2008年版の編集以来、3作目。

 副院長は師走の忙しいなか、何度も何度も当編集室に足を運び、しかもいつも深夜まで写真の選択や写真キャプションの校正などにご自分で納得できるまで徹底的に吟味します。
 「よし、こんどは満足できるものができました〜! 最後の問題はカレンダーの名前ですね。岩田さん、どんな名前がいいでしょう?」。しばらくして私が「先生、『あったかい自然』で、どうでしょう?」と応えると、先生は「はい、いただき〜、今年はそれでいきましょう!」。今年のカレンダーの出来栄えは相当お気に入りのようです。印刷所にB4版にして1000部の印刷を発注されました。
2011年版「あったかい自然」
 見開きB4版
2010年版「深山に咲く花たち」 
見開きA4版
2008年版「カナディアンロッキーに咲く花」          見開きA4版

118 2011“サプライズ付き”新年パーティー、盛会裏に終了


 2011年、今年の新年会は1月21日(金曜日)午後2時から<第1部 「スライドショー」高田中央病院副院長・荏原寿枝さんの写真と説明>、<第2部 「飲み食いしながら楽しいサプライズ・パーティー」>で、いつものギャラリー日吉(尾嶋ビル3階)で開きました。
 意外な人の意外な“隠し芸”が次々飛び出し、驚き、そして芸の深さに感心、さらに抱腹絶倒のあまりカメラマンが撮影を忘れてしまうほど、まさにサプライズ・・・でした。以下に配野美矢子さん演奏のオカリナ、“ソプラノ歌手”・井出真一路さんの作詞作曲の“可笑しな歌”のシーンを紹介できないのがたいへん心残りです。
スライドショー  女流マジシャン  原語でシャンソン  バイオリン演奏
119 3月1日から「アルバム編集講座(講師・岩田忠利)」、
スタート!
 すでに卒業者5名


 「紙焼き写真がたくさんあってその整理に困っています」「自分が元気なうちにパソコンでアルバムを作る方法を教えてください」など受講者の皆様から相談を受けていました。それ以来、私が先ず取り組んだのは、アルバム編集のハウツーからCD・DVDのレーベルやジャケット作りまでの一連のテキスト作りでした。その目安がつき、3月1日講座を開始しました。
 
 課題が受講者自身の大事な写真の編集、皆様はじつに熱心です。覚えたことを積極的に自宅で自習します。3ヵ月を過ぎた6月上旬には400枚以上の写真を編集してアルバムをつくり、5名の方がオリジナルのレーベルとジャケットを完成させ、卒業されました。以下は、卒業者の作品です。
佐藤保子さんのアルバム「私の来た道」 。相父母から孫子に至る5代の写真がびっしり約500枚入っています 石川佐智子さんのアルバム「思い出のアルバム」。PC水彩画の作品、樹木の花・果実・紅葉などの写真も入れ410枚
120 玉砕の島サイパン生まれの栗原茂夫さんが子供の眼で書き下ろした
『ドキュメント 
少年の戦争体験』公開中!




  2011年6月8日に第1章「プロローグ編」をスタートし、このほど最終回の第13章をアップロードしました。その後、第1章に著者の抱負欄を設け、第6章から最終章の第13章まで原稿の書き替えと再アップロード、内容がいっそう充実しました。同時にイラストレーター・阿部紀子さんのイラスト13点も加えて掲載、戦争の生々しい悲惨な写真・イラストなど画像があわせて115点になりました。
  本文を読みながら画像も、どうぞお楽しみください!

戦前の家族写真。右端が
著者栗原茂夫さん

当時10歳の茂夫少年は、間断なく続く爆撃の中を逃げさ迷いました

結局、家族5人は米兵に連行され写真のススペ捕虜収容所で抑留生活



121

D版「ドキュメント 少年の戦争体験」が完成、次世代に語り継ぐ媒体として保存
 2011年7月15日、CD版 「ドキュメント 少年の戦争体験」が完成しました。終戦記念日を1カ月後に控え、著者の栗原茂夫さんは「太平洋戦争を風化させてなるまじ・・・」とこのCDを持って横浜市内の朝日新聞、読売新聞、毎日新聞の各支局ならびにNHK横浜放送局へ進呈に歩きました。栗原さんのこの信念と努力は、いつの日か必ず結実することでしょう。
122
新聞・雑誌・機関誌が掲載した私の地域活動31年間のCD版「切抜帳」完成!
 昭和55年(1980年)4月、『とうよこ沿線』創刊準備のころ、朝日新聞横浜支局の越村佳代子記者が突然取材に見えて以来31年間、実にたくさんの記者さんが取材で来室されたり、各媒体から原稿依頼を受けたり、さまざまのメディアに登場させていただきました。その記事の反響があまりに大きく、電話が鳴りっぱなしでトイレに行く間もないほどのこともありました。
 その新聞記事などは、今は亡き義母・鈴木善子や編集室の仲間が切り抜き、ファイルに大事に保存しておいてくれました。「取材記事は新聞社や出版社など相手ががあって成り立つもの。編集長、これはお金には替えられないものです。パソコンで整理してください」と親しかった故人となれた人から勧められていました。

 平成23年(2011)7月25日、A4版誌面137ページで完成しました。
  

ジャケットA面

レーベル

ジャケットB面に掲載媒体の名簿


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